父と息子の話

日々徒然

父親と息子というのは不思議なもので、大学時代までほとんどと言っていいほど話さなかった父親とは、僕が社会人になって語り合うようになって。

僕が高校生の時に、地元で兄弟と家業をしていた父親は、うまく行かなくなって東京に出てきた。あれからもう12年が経とうとしている。

新卒当初、3年間僕は大阪にいて、その時くらいからちゃんと大人の会話をするようになった。

僕が東京に来て4年が過ぎたが、今では2〜3ヶ月に1回は飲みに行く。
あれだけ毛嫌いしていた父親だが、今ではまるで友人関係のように話をするようになった。

先月の12月で僕はなんと31歳になった。

30代になって脱サラをして悠々自適な独立生活をして、はや1年。31歳かあ。

僕が港区に引っ越してきて1年半が経つが、東京歴が10年選手の父親にとって、この街で独立し生活をするのがどのくらいの水準のことであるのかはよくわかるようで。

僕のやっている仕事については詳しくわからないようだけども、この街で過ごすということがどういうことかは母親よりも圧倒的に父親がよく知っている。実感値があるのだ。母親は僕の住んでいる家を見て「綺麗だけど不便な街」と言っていた。笑

僕が東京に来てから、父親と仕事の話をよくするようになった。

父親にとって僕が地元の国立大学から東京の大企業に就職をしたということは、本当に不思議なことだったらしい。最初の頃は何度も「どうやって就職したのか」と聞かれたものだ。

東京の生活に慣れてきて、僕自身が事業をするようになり、少し方向性が見えてきたくらいから、無性に父親の過去の話を聞きたいと思うようになった。それもやっぱり30歳が見えてきたタイミングだったと思う。

30代をどのように生きるのか?

そのテーマを考えた時に、無性に父親の30代の話が聞きたくなったのだ。本当に不思議なものだ。

27歳で結婚した父。33歳で僕が生まれた

父親と母親は2歳ちがい。転勤で他県に行き、母親は仕事を辞めてついていき、温泉に浸かるゆったりとした日々を過ごしていたときに、僕を授かったという。

ひと足先に母親だけ地元に戻り、実家の近くで僕を産んだ。確か母が30歳くらいの時だったという。

父親は27歳で結婚した。ずいぶん早いように感じるが、30年以上も前の話なので、まあそんなものだろう。

父親に「なんでお母さんと結婚したの?」と聞くと、「結婚するものだと思っていたからだ」と言っていた。要は誰でも良かった(というのは言い過ぎだけど、目の前にいたのが母親だった)ということらしい。

父親が僕に最近になっていうのは「結婚はよくわからないけれど、子どもはいて良かった」という。本当か?

僕が幼少期、24時前に帰った父親を知らない。全く家庭を顧みなかった父親に対して、母は毎日しんどそうだった。僕の思い出はしんどそうな母親なので、仲の悪かった両親がいまだに離婚していないのが本当に不思議なくらい。

余談だけど、父親が東京に行って2拠点生活になり、僕が就職して3拠点生活になってから、家族3人の仲は結構良くなったと思う。離れているが故の適度な距離感で、かつ、僕が経済的にも精神的にも自立したことで、良くも悪くも「この世界に家族はこの3人しかいない」ということを実感するようになったからだと思う。

両親は両家ともほぼ絶縁状態だった。今は少しだけ戻った。

いつか両家のことも考えないとな、と頭の片隅にありながら30代を迎えた。
いつか、考えようと思って置いている。

30代で脱サラをした父親の本当の理由

ちょうど去年。父親と飲みに行った時に、ふと聞いてみた質問。

僕の父親は、30代の頃に大手の金融系の会社(上場会社!の地方支社)に勤めていて、それを突然、辞めてきた。

僕が3〜4歳くらいだったと記憶している。結構鮮明に記憶に残っている。

母親からしたら、たまったもんじゃないだろう。
いきなり「今日、会社辞めてきた」と言われ、3〜4歳の子供がいて、その後父親は2年余り、実家でゴロゴロしていたのだから。w

アメリカに数ヶ月、いきなり留学に行ったりした父親を覚えている。

その後、僕が小学校に上がるくらいに、兄弟と自営業を初めて、しばらくして軌道に乗ったらしい。軌道にも乗り、調子に乗った父親と、よく母親が口論していたのを今でも覚えている。

父親に質問したのは、30代の頃、何を考えていたのか?ということ。
そして、なんでいきなり会社を辞めたのか?ということ。

当時の金融系の会社なんていうのは、今では考えられないくらいにブラック(というかダークというか)だったはず。

父親は結構仕事真面目で、毎朝早くから遅くまで働いていた。
支店長まで昇進したというのも聞いていた。30代で支店長は結構いいコースなんじゃないかな。

そんな中で、いきなり会社を辞めた。その理由は何か?

実は父親は、その理由を今までの人生で一度も、誰にも言わなかったという。

母親に対しても、だ。

なぜか?

言ってもわからないだろうと思っていたから、というのだ。

その理由を世界でただ一人、僕だけが初めて聞いた。
「初めて人に話した」という理由を聞いて、僕は当時の働きぶりや会社の環境なんかを想像して、まあ、辞めるという考え方もアリかなと思ったのだ。

そして同時に、確かにその理由を母親に話しても、きっと伝わらないだろうな、とも思った。

要はそれだけ、母親が社会のリアルさからは遠い距離の世界に生きていた、ということだ。

幼少期僕は、父親に対して「家庭持ちでいきなり仕事を辞めてきた、無責任な人」と思っていた。
でもそれは母親から見える景色で、今ビジネスの世界や大企業に勤めるということを知った僕からすると、父親から見える景色を想像すると全く違うものだったのだな、ということ。

30代の頃に何を考えていたのか?という僕の質問に対して、「朝から晩まで仕事のことしか考えていなかった」という父親の遺伝子は、僕にも引き継がれているのだろうなと思う。

そして30代後半になってふと会社を辞めた時に、何も世間を知らなかったということに気づいたというのだ。

笑えるエピソードもたくさんある。

当時、支店長をしていた父親の支店の業績がよく、本部から視察に来るという話があったらしい。

でも、当時の父親はその意味が理解できなくて、結局一度も視察に立ち会わなかったというのだ。笑

東京に来て仕事をして、ようやくその意味がわかった。もっと世間を知っておけば良かった、と今更になって語る様子は、後悔するような感じでもなく、昔を思い出しながらスッキリした様子で、僕にとってはとても興味深い話と思った。

人生はあっという間

別に感傷的になるものでもないのだけれど、そんな父親の話を聞いていると、本当に人生というのはあっという間なのだと思う。

20代で結婚して、30代で子供が産まれ、脱サラをし、40代は自営業。
50代になって家業がうまく行かなくなり、気づけば家庭も崩壊していて、地元を離れ東京で働かざるを得なくなり、何も知らない土地に一人で仕事をし、実家に仕送りをする。

がむしゃらだったと思う。あれから10年以上が経ち、東京の街にも仕事にも慣れ、そして意外に楽しそうに過ごしている。初めて会社の同僚に友達らしき人もできたらしい。僕は父の友人と呼べる人間を初めて目にした。

こうして子ども(僕)が東京に来て、それなりに過ごしている様を見て、いま父親は何を思うのだろうか。

僕自身も社会人になって7年が経つ。
がむしゃらに過ごした10代後半、そして大学大時の4年間を経て、大阪と東京を知って、30代になった。

30代、そして40代の生き方を考えた時に、やっぱり両親が、父親がその当時何を思っていたのかというのは、とても参考になるように思う。

今、両親や祖父母に話を聞くことができる人は、ぜひ。語り合ってみてほしい。

きっと今になって見えるものがあるはずだ。

人生はあっという間。そんな当たり前の話を書いてみたりした。
いつか恩返しをしたいと、ふと思う。