父と息子が語り合うということ。還暦を迎えた父親との誕生日

2019年4月6日日々徒然

この土日で、父親が還暦を迎えました。60歳の誕生日です。

機会が重なり、東京にいる父と一緒にご飯へ行き、色々な話をすることができました。

 

改めて、この金土日は東京でした。

会社の研修合宿ということで、箱根へ。

土曜の夜解散し、東京駅へ戻り、そこから練馬区にいる父のところへ。

 

大阪(新大阪駅)→箱根(小田原駅)→東京(東京駅)

そして東京駅から練馬区です。高田馬場から新宿線へ乗り換えての移動は、何回目かのことですが、慣れない街でありつつも、東京の夜を感じた昨日でした。

 

練馬駅近辺には、ちょっとした飲み屋街があります。

父親と2人で居酒屋に入ったことなんて今まではほとんどありません。

東京では、そんなこともできる。不思議な気分です。

 

社会人になって、大阪で一人頑張る僕と、数年前に地元の実家で僕と両親の3人暮らしをしていた状態から、一人単身で東京へ行った父親と。

3人しかいない僕の家族は今、日本の中で3拠点に住んでいるわけです。

そんな中、大阪から東京に行き、父親と息子2人で居酒屋に入るというのは、なんとも言えず、小説的だなあとか思ったりしつつ。

 

社会人として頑張る息子の姿を見せることができたのは、一つ親孝行なんだろうなとも思いながら、2人ともに還暦を迎えたという感覚もなく、不思議な気分でビールを飲んでいました。

偶然にも父親の60歳の誕生日に、僕が東京にいることができたのは何かのご縁なのかもしれませんね。

 

父と息子が語り合うということ 

色々な話をしました。

社会人1年目を終えた僕に対し、40年間社会に出ていた父親的な話もあるようです。

あるいは、僕が今やっている仕事はとても不思議なものですし、なかなか見える景色ではないことは分かっているからこそ、そんな話で盛り上がるわけです。

一人暮らしがどうのとか、20代後半がどうだとか、父親の20代はどうだったとか。

とりとめもなく、他愛もない話ですが、こうして2人でいろんな話をするというのは、数年前には想像できなかた。

良き時間だと思うんですね。

 

僕は大阪でちょうど1年になりましたが、この1年間で近畿には多少詳しくなったと思っています。

大阪府内だけではなく、近畿圏全般に行くわけですから、当然と言えば当然です。

ちょうど1年間大阪で生活をしてみて、やっと東京近辺の土地勘に近づいたかなと思っています。

僕が大阪へ来る前の時間を考えると、やっぱり東京の方が詳しかったりしますから。

ということで、もう5年以上東京で生活をしている父親と、東京の街や生活、会社のこと仕事のこと、そして大阪のことなどを話しました。

 

そこでは、例えば父親が若い時に福岡から北海道までを一人旅したことや、いろんな街に足を踏み入れたこととエピソードの話も初めて聞きました。

僕も今はこうして大阪を中心に仕事をし、生活をしていますが、いずれ東京に行くわけで、そして日本各地いろんなところへ足を運びたいと思っているわけです。

そんな話をしながら、僕の両親にも若い頃があったのだという当たり前の事実と、そのリアルさをなんとなく感じることができました。

父と息子が語り合うということは、そんな当たり前のことを一つずつ積み上げて行くことなのかもしれません。

 

父親が暮らしている東京の練馬区というのは、基本的に住宅街です。

居酒屋で23時過ぎまでいた後に、街を歩きました。

父親が5年間、過ごした街です。

50代になって東京へ行った父親は、どこか20代の若い頃に上京し、挑戦したというような、そんな感慨さえ感じられた。

あっという間の5年間だったはずです。

 

僕は今、25歳です。

20代半ばで上京し、夢に挑戦する。住む街は、東京の中でもローカル感が溢れる住宅街かもしれないけれど、例えば深夜のコンビニや地下鉄のホーム、スーパーや居酒屋に出入りする人たち。大きな道路にはマクドナルドがあって、そんな一つ一つのリアルが新鮮で、手に取るような感覚さえする。

そんな何かしらのデジャブのようなものを、どこかしら重ねて感じながら、夜の街を歩いていました。

 

未来という不確定な人生は、実は「今、この瞬間」であるということです。

今という時間こそが未来であり、人生である。

だからこそ僕は、今ここに立っている自分を、全力で生きたい。

そんなことを感じた時間でした。

いつも、ありがとう。