友人との語り合いで人生の納得度を考える

日々徒然

この週末に久々に、中高時代からの(数少ない)友人と会いました。
僕のブログに時々出てくる彼は、僕と地元の中学、高校を一緒に過ごした友人で、大学から東京に出てきて、以来、ずっとここで頑張っています。

彼は東京で大学を出て、大手金融機関に就職し今は証券マンとして頑張っていますが、僕より1年早く就職したので今年で5年目。
社会人5年目、今年で28歳になり、30歳を目の前に社会の荒波に揉まれながらも証券マンとして人以上の給料を稼ぎ頑張っていて、一つ人生の節目に立っている。そんな色んな話をできたのがリアルで良かった。

僕の友人が大学時代から付き合っている彼女は、東京出身のお嬢さんで、サークルで出会ったそう。(彼は早稲田、彼女は有名な女子大だった)
僕も大学時代から彼女も何度か会っていて、もともとは今年の夏に結婚式を挙げる予定で予定でした。

僕は人生初の友人代表挨拶をお願いされていたのだけれど、コロナの影響で1年延ばしたそう。
あ、そうそう。結婚式を挙げるということは聞いていましたが、今日初めて、彼らが去年の冬に結婚していたことを聞きました。笑(おい!)

新居に引っ越したそうなので、また遊びにいくね、彼女にもよろしく!なんていう話をしたのが妙にエモい。だって、卒業して10年が経つんだもの。

人生の納得度合いは何で決まるのか

卒業して10年が経つね、なんていう話をしながらも、お互いが仕事に没頭するタイプということ、そして業種業界が全く異なるからこそ、男同士、仕事の話が盛り上がる。
同級生であり友人ですが、昔話ではなく、今と、未来の話ができる仲というのはすごく大切なものなのではないでしょうか。

大手の証券マンというのは、人以上に稼ぐ。かなりの給料をもらうので、仕事もハードのように思うのですが、実は意外とホワイト企業だったりする。(多くの場合18時〜19時には帰れるらしい。もちろん土日祝は完全に休み)
ハードなのは、体力的に激務ということではなくて、精神面でかなりのハードワークを求められるところが、金融マンの他とは違うところだと思うのです。

ハードな仕事と引き換えにたくさんの給料を稼ぐけれど、時間が経つほどに、「これで俺の人生、良かったのだろうか」という悩みが大きくなるのだと。

1つは、金融業界という特殊な業界性質。
30歳を目前にした彼は今、転職をすることがどれだけ難しいかを知っています。

今の仕事にこれといった特別な不満があるわけではないけれど、特殊な世界で何か大切なものを削りながら、やりがいや本質的な仕事、想いを持った仕事とはどんどん掛け離れていくような気がするのだと。
一方で、勤務年数に応じて年功序列的にどんどんと給料は上がっていき、ますますその世界から抜けられなくなってしまう。

常に身内の競争という環境に置かれていて、負ければ人格を否定されるような世界。
だけれども、その世界での戦い方しか知らないし、その世界での承認をより求める自分がいるのだと。

年収というのはある一定以降は単なる数字でしかないかもしれませんが、それでもなお、より年収を求めてしまう自分がいて、しんどい生き方だとわかっていても、抜けられない。

結局、人生において大切なものはなんなのか。何が人生納得度合いを決めるのか。

そんな話を真面目に語り合っていました。なんか文字に書くとすごいリアルですね。

愛のある仕事をしたい

彼は自分自身に言い聞かせるように、「しんどい生き方だけれど、今はそれしかできないんだ」という風にいっていた。

人によっては、何を贅沢な・・と思われるような悩みかもしれませんが、人は誰しもが無い物ねだりで、全てを満たすことはできないのかもしれないと、彼の話を聞いて改めて思っていました。

ひとつ、仕事にも人生にも通ずる話としては、僕は愛のある仕事をしたいと思うと。そんな語りをしました。

「絶対に損をすると分かっている金融商品を売らなければならないノルマを課された時、ゆってぃならそれをお客さんに売るか?」と聞かれました。

彼の日々の葛藤を物語る問いかけです。

1つは、自社の会社の存続のため、利益を出すために、売るという決断。
これは会社員として求められることを行い、例えそれでお客さんがお金を失い損をしたとしても、それは買ったお客さんに責任があるとする考え方。

もう1つは、損をすると思う商品は売らない、と決めるあり方もあります。
ただし、会社から課されたノルマは達成できないと。

前者はお客さんの信頼を失う代わりに、会社での評価を得られる。
後者は、会社での評価を失う代わりに、お客さんの信頼を得られる。

このトレードオフの葛藤の中にあるからこそ辛い。自分でも決められないのです。

もちろん、二者択一ではなく、第三の案もあります。
人生は白か黒かの二択ではないのです。

 

僕が彼にいったのは、僕なら、愛のない仕事はしないということ。

例えば僕の仕事で例えると、お客さんの企業や経営者に何かコンサルティングの提案をする時、失敗するかもしれない、、と思う提案は絶対にしないという信念があります。例え受注が見込めており、大きな契約ができるという場合でも、です。

少なくとも自分自身の中では、100%の自信を持っている提案しかしないというのは、僕のポリシーで今もそれは変わりません。
例え会社の中で、売上や利益の数字が厳しいから、なんとか頑張ってもう1件受注しよう、といわれている時であっても、です。

それでもなお、そのプロジェクトが100%成功するとは限らない場合も多くあります。そんなことはあり得ない。
その場合は、提案をした時の自分自身に至らない点があったと。それはもう「すみません」でしかないのです。

でも、少なくとも自分の中で確信がある提案でなければ、プロとして相手に対して失礼極まりないのです。
プロのスポーツの世界でも、「負けるだろうな」と思って闘う選手はいません。少なくともこれ以上ないくらいに準備をし、勝利にベストを尽くすという前提で成り立つから彼らはプロであり、スポーツは人の心を揺さぶるのです。

それでも負けることだってある。いや、むしろ負けることの方が多いかもしれない。
負けたら負けたで、何がダメだったのかを本気で考え、向き合っていく。

そういう一期一会の繰り返しができる人こそが、その道でのプロのあり方なのだと僕は思うのです。

結局のところ、何を大切にして生きていきたいのかを本気で考えることでしか、自分と向き合うことでしか、見えてこないことなのかもしれません。

こんなことを書くと暑苦しいかもしれないけれど、何を大切にするのか?というシンプルなことであって、答えはひとつではないし、答えは無限にあるのです。

人生は何を選んでも正解だし、何を選んでも自分自身が今を生きていれば、それで良いのかもしれない。

なんてことをぐるぐると考えていた、そんな日曜日のひとときでした。