「不在」という存在感。

2019年1月5日日々徒然

人の存在感というのは、実のところ、その人がいない時に出るものなんだと。

つまりは「不在」という存在感なんですね。

その人自身がいるときには、実はその人の”本当の意味での”存在感はわからない。

その人がいない時に初めて、感じられるものというのが、存在感の本質なんだなと。

例えば、チームでなにか仕事をしていたとして、ある人がそのチームのキーパーソンだったとします。

でもその人は、別に他のメンバー全員を引っ張っていくリーダーシップをとるようなタイプではない。

どちらかというと控えめで、見えにくいものを見つけてそれを徹底する。というようなタイプかもしれないんですね。

別に何でもいいんだけれども、実はそういう一見すると見えにくい価値発揮をしている人が、じゃあたまたま何かでいなくなってとして、「あれ、いつもと何かが違う」となるわけです。

あるいは、他の人がその役割を担おうとした時にはじめて、そのことに気づく。

それが存在感というものの本質なんですね。

概ね、人は大切なものを失ってはじめて、その大切さに気づきます。

歯が痛くなって初めて歯の存在を認識するし、頭が痛くなって初めて、自分には頭があったということを知るわけです。

同じように、大事なものを手放して初めて、その大切さに気づくときもある。

皮肉なことに、失って初めてその存在の大切さに気づくんです。

ということを、人は誰しもが、大人になるという過程の中で学んでいきます。

一度は、知ったはずなのに。

わかった気でいたはずなのに。

目の前の人を、今を、自分を、大切にすることを学んだはずなのに、またいつのまにか、その大切なことを見失ってしまうのかもしれません。

大切なものは、目に見えない。

僕の大好きな、星の王子さまの言葉です。

そうかもしれない。

そんなことを考えています。

〈追伸〉

はじめて「ゆりかもめ」に乗っています。

ゆりかもめからの更新。

名前かわいいですよね。