「不在」という存在感。
人の存在感というのは、実のところ、その人がいない時に出るものなんだと。
つまりは「不在」という存在感なんですね。
その人自身がいるときには、実はその人の”本当の意味での”存在感はわからない。
その人がいない時に初めて、感じられるものというのが、存在感の本質なんだなと。
例えば、チームでなにか仕事をしていたとして、ある人がそのチームのキーパーソンだったとします。
でもその人は、別に他のメンバー全員を引っ張っていくリーダーシップをとるようなタイプではない。
どちらかというと控えめで、見えにくいものを見つけてそれを徹底する。というようなタイプかもしれないんですね。
別に何でもいいんだけれども、実はそういう一見すると見えにくい価値発揮をしている人が、じゃあたまたま何かでいなくなってとして、「あれ、いつもと何かが違う」となるわけです。
あるいは、他の人がその役割を担おうとした時にはじめて、そのことに気づく。
それが存在感というものの本質なんですね。
概ね、人は大切なものを失ってはじめて、その大切さに気づきます。
歯が痛くなって初めて歯の存在を認識するし、頭が痛くなって初めて、自分には頭があったということを知るわけです。
同じように、大事なものを手放して初めて、その大切さに気づくときもある。
皮肉なことに、失って初めてその存在の大切さに気づくんです。
ということを、人は誰しもが、大人になるという過程の中で学んでいきます。
一度は、知ったはずなのに。
わかった気でいたはずなのに。
目の前の人を、今を、自分を、大切にすることを学んだはずなのに、またいつのまにか、その大切なことを見失ってしまうのかもしれません。
大切なものは、目に見えない。
僕の大好きな、星の王子さまの言葉です。
そうかもしれない。
そんなことを考えています。
〈追伸〉
はじめて「ゆりかもめ」に乗っています。
ゆりかもめからの更新。
名前かわいいですよね。