先輩の書いた『シン・ゴジラ』の映画評を読んで。

2019年1月6日日々徒然

僕の学科の先輩(M1)が書いた『シン・ゴジラ』の映画評が、キネマ旬報10月上旬号の読者の映画評のコーナーに載りました。

これは、ものすごく嬉しいことであり、そしてすごいこと。

今から約60年前、戦後復興を目の前にした時代に『ゴジラ』という怪獣映画が大ヒットしたこと。そしてそれは人間的な意義付けをしたものであったこと。

そこから約60年もの時を経て、日本はより「物質的な時代」へと移行していて、現代という現状を、物質的な脅威によってゴジラを定義付けし直したものが、今回の『シン・ゴジラ』である。という趣旨の映画評でした。(すごくざっくり書いてます。)

僕は最初、彼に試読をお願いされて、この映画評を読みました。

衝撃、の一言。

これが、本当に文章を書くという道を志している人が書く言葉なのだ、と。すごすぎて、初見では内容が頭に入ってこないくらいでした。笑

何がすごいって、一つはその文体。文学作品を、これでもかというほどに読み込んでいることが伝わってくる文体です。そしてもう一つは、時代背景を踏まえた上で、その時代背景とその映画を結びつけて表現していく知識の深さと、物事を見る目。独特の視点ですね。

僕は、そんな視点で映画を見たことなんて、一度もありませんでした。

もちろん『ゴジラ』という映画は見たことはあるのだけれども、そして今回の『シン・ゴジラ』という映画の内容は(見てはいないけれど)いろいろなところで目にしていたのだけれども、今まで僕は何も見ていなかった。見たと思っていた。そんな風にさえ思えてきました。

文章を書いて生きていきたいと前々から言っていた彼の目に映る世界は、どんなものなんだろう。

文章の書き手に必要なのは、言葉のうまさとか文章の卓越性とかではなく、もちろんそれらも重要なんだけれども、いちばん求められるのは「物事を見る独自の目」なんだということを、改めて思わされました。

僕もそうですが、彼も物理学科にいる人間なのですが。笑

大学近くのブックオフで、よくばったりと会って話をしたことは、今ではいい思い出。いろんな小説をお勧めしてもらったなぁ。うん。

彼は来年M2で、就活をするとのこと。出版社とか、広告系とか、そういった企業に就職したいと語っていました。きっと、文章を書くことに携わる仕事をするんですね。

僕は来年、一足先に就職しますが、将来、お互いの書いた文章が世に出てくるということがあれば嬉しいですね。

ありがとう。