夢を持っている人は強い

2018年9月29日日々徒然

僕の後輩にひとり、ものすごくスケールの大きな人間がいます。

昨日、たまたまふとしたことからその彼と話をし、改めてその夢の大きさに触れて、ああいいなあ、と思った。

夢を持っている人は強いです。

夢といっても、「叶ったらいいなあ」というような弱い願望ではなくて、「いつまでに、これを実現する」という強い完了形のこと。

僕のような人間には想像できないくらいのスケールの話です。

5年後には世界と言っているわけで。

彼なら本当に実現するように思えてくるから不思議です。

こういう人たちが、いろんな人から応援され、羽ばたいていくんだと。

でっかい器の人間です。

僕はこの大学時代、とある新規事業のインターンシップに関わらせてもらっていた話を何度か書いていますが、そこに参画していたメンバーというのはもう粒が大きすぎて。

こいつら、本当に大学生?と思えるような人たちの集まりなんですね。

上に書いた彼もそのメンバーのひとりなのですが、僕はこの大学時代、彼らのような人たちと一緒に関わることができて、その経験というのは間違いなく僕の財産です。

上の彼もそうですが、彼らは将来世に出てきます。それはもう間違いない。

こうして多くの時間を共有できたことに感謝です。

諦めきれない夢があると諦める

大人はよく「夢を持て」と言います。

僕だって小学生の頃から「将来の夢はなんですか?」と散々言われてきました。

中学や高校になると、未来年表なるものを作らされ、何歳までに何をして、というようなものを書かされた。

僕はそれがものすごく嫌でした。わりと早いうちのある時から、全く書かなくなりました。(当然ものすごく怒られるわけだけど)

それ自体が良い悪いではなくて、なんでこの大人たちに「夢を持て」とか言われないといけないんだとずっと思っていました。

あなたたちって、ごめんなさい。ぶっちゃけ、しょぼいよね、と。

今となってはすごく申し訳ないと思いますが、当時は本当にそう思っていて。

昨日、とあるスタッフの女の子と話をしました。これもたまたまだけれど。

この4月で大学3年生になる20歳の彼女は、大学を卒業して、働いてお金を貯めて、自分で音楽大学に行きたいんだと。

音大に行き、プロの演奏家になるのが夢なんだと語っていました。

10代の頃からの夢だけれど、親に反対されて結局音大には進学できなかったから、自分でもう一度その夢を追いたい、と言っていて。

ああ、こういう子っているんだなと思い、すごくほっこりしたんです。すごく素敵だなって。

正直、しんどいと思うんです。いろんな間の中で揺れて、葛藤を抱えて、夢と現実の折り合いをつけないといけない部分もあるかもしれない。

でも、諦めきれない夢があるならば、諦められない夢があると諦める生き方だってあると思うんです。

無責任に「きっと叶うよ」とか「がんばって」とか、そんな言葉はかけられません。そんなものはわからない。

僕にだって、夢があります。

願望というよりは、確信といってもいい夢がある。

夢に近づくような、そんな生き方を僕はしたい。

ありがとう。