面接は「何をして生きてきたのか」が問われる場

2018年9月29日就活生向け, 面接

(2018年1月追記)

yuto.hatenadiary.jp

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社会人になって、直接的に学生のコミュニティに所属することはなくなったけれど、なんだかんだといろんな繋がりがあって、就活というものに向き合っています。ゆってぃです。

仲の良い友人(というか、後輩というか)の人たちも就活という局面に立っているし、その中で内定をとり就活を終える人。自分なりの納得するものに向き合おうと、まだまだ頑張っている人。あるいは、そんな就活生を本気でサポートしている人。様々なドラマがあって。

就活という時間は本当に難しいものだし、本気で自分の人生に向き合う瞬間だし、そしてそれはとても素晴らしいものであって。

僕自身が社会人になり、この3ヶ月ほど、なかなか就活について書く機会はなかったのですが、これからも書き続けたいなと思っています。

とはいえ、ある一定僕自身の考え方みたいなものは書ききったことも事実なのですが、社会人になりまた見え方が変わり、僕自身が人材業界の企業に入るということもあって(やっている仕事は全く違いますがw)、そういった視点も持ちつつ、書いていけたらいいなと思っています。

面接は自身の生き方が問われる場

これも繰り返し書いていることですが、就活における面接の場というのは、その人自身の20数年間の人生が問われる場です。

言葉を変えれば、生き方を問われる場ということです。

生き方というのは、考え方、思考、スタンス、そういったものを全部ひっくるめて、生き方ということです。

面接の場で語るのは「何をしたか」ではなく、その背景にある人間特性である。ということも繰り返し書いていることですが、そしてそれは事実なのですが、一方で、面接の場で語る自分の生き方というのは、結局は「何をして生きてきたのか」ということなんです。

この違いがわかるでしょうか?

「何をしたのか」という行動ベースのことではなく、「何をして生きてきたのか」という”生き方”だということです。そして、この違いはとても大きい。

たとえ面接で落とされたとしても、あなた自身が否定されたわけではない。

という言葉はよく聞きますが、もちろん嘘です。否定されているという事実をきちんと受け入れた上でしか、次に進めない。

否、正確には、それまで出会った人たち。大人、親、教師、友人。あるいは様々な環境要因、本、言葉、場所といった環境を否定されている、ということです。

厳しいでしょうか。そうかもしれません。

でも、現実は厳しくも清々しいもので、まっすぐに見ればとても素晴らしいものだと僕は思うのですが、どうでしょうか。

ちゃんと自分の足元を見つめ、過去を受け入れ、未来を見据えて、一歩ずつ進んで行くしかないんです。

それに気づくことができただけでも、僕は就活をやりきって本当によかったなと思っています。

実際の面接の場では、背伸びする必要も、大きく見せようと気張る必要もありません。

どこまでも等身大の自分で、自分の言葉で相手に伝える。

テクニックはたくさんありますが、それは別に枝葉です。

就活という、自分の人生の中の一局面をきちんと見つめて、本気で向き合ってみてもいいのではないでしょうか。今の日本の就活のあり方が良い悪いという議論ではなく。

いつも、ありがとう。