”継続”こそ人生の価値であると知る

2020年11月22日働き方・キャリア, 思うこと

手帳や日記、あるいはブログを書こうと決意をして、1週間と持たずに1ヶ月期間が空いて、「よし、今月は」と書き始めてまた1週間で終わる。
そんなことをなんども繰り返して「自分はなんて継続力がないんだろう・・」と悩んでいる人も多いのではないでしょうか。

僕は10代の頃からブログとノートを書き続けてきて、約10年になります。
ブログをやったことがある人はわかると思いますが、やり続けることが価値になるとわかっていても、1年間継続することができない人は多いのです。

僕もブログを書いて数日期間が空いたり、、とはしつつも、なんだかんだと10年間もの間、継続し続けることができたわけですが、それは僕が忍耐力があるからとか、継続力があるからとか、そういうことではないのだと最近になって再認識をしています。

先日、会社で性格能力診断なるテストを受験したのですが、僕が会社や組織の中で圧倒的ナンバーワン(というかワーストワン)であった項目が「保全性」と呼ばれる資質。

保全性とはつまり「自らを保全、維持しようとする力」のことです。

解説によると、何かを維持する際に「エネルギーの損失が最も少なく済む方法」を選ぶ適性のこと。

中長期的に物事を捉え、計画的にコツコツと積み重ねていく。

そういった能力が著しく低かった、ということです。

それはもう、圧倒的ワーストワンでした。保全性がほぼゼロと言ってもいい。
ようはぼくは、ビジネスパーソンとしての極めて重要な資質が会社組織の誰よりも著しく低いのです。

 

そんな僕の特性からして、例えばブログは10年単位で継続しているし、将棋や音楽というのは20年単位でほぼ毎日、何かしらの継続をし続けています。

じゃあ、適性能力診断が間違っているのか?というと、そうではない。

これは適性能力診断で測る僕の特性と、僕自身が物事に対してどのように向き合っているのかというスタンスの違いだと思っています。

僕はコツコツ何かを積み上げていくという資質はとても低いですが、物事の中に変化を見出し、常に変容しながら継続をするという能力はとても高い方だと思っています。

継続力がない、と悩んでいる人にとっても、物事の捉え方一つで変わるきっかけがあるかもしれません。
僕なりに思うヒントを書いてみようと思います。

マイノリティこそが正であると知る

僕がコンサルティング業界に身を置き、中長期的な成功者と呼ばれる人たち、あるいは各会社の中で圧倒的存在感を発揮し、社内の枠を超えて影響力を行使する人たち。

彼らを見ていて思うことは、突き抜けようと思ったら他の人が「やらない」「できない」「やりたくない」と思うようなポジションを確立しており、マイノリティこそが成功の方程式だと知っています。

もっと言うなれば「多数決は悪である」ことを知っている。

多数決は凡人の意見に収束することを経験則的に知っており、みんなが左という時にきちんと右を選ぶという決断軸を兼ね備えている人が多いです。

そういう人たちは、他の人がなかなかできない、あるいはしようと思わない領域において、軽く10年、20年という単位でやり続けることができます。

そこには「好き」とか「得意」とかいう感情がなく(あることもありますが)、稀少性こそが価値であるという本能レベルの論理があって、結果継続をしていることが多いのです。

努力ではなく工夫をする

日本人は努力好きだと言いいます。勤勉さは日本人の美徳ですが、裏を返せば工夫をしない、頭を使わないことが正だとされる文化だということです。

一度「こうだ」と決めると、それが天下のルールのように思い込むことができる。

だからこそ軍隊も強いし、企業も強い。農耕民族たる所以だと僕は思うのです。

僕の会社でも、特に真面目な女性社員に多いのですが、圧倒的盲目と優れた頭脳によって「自社こそがナンバーワンである」ということを疑わないわけですから、盲目的な秀才ほど扱いやすく、そして怖いものはないなと思わされるのです。

「本心で、自社のことをナンバーワンの環境だと思いますか?」と問うても答えは「Yes」のような人が、あなたの周りにもいるかもしれません。

じゃあ、「なぜ、ナンバーワンだと思うのですか?」とか「どんな価値を発揮しているから、そう思うのですか?」という問いかけには、答えられないことでしょう。

これが無知な秀才を生んだ日本教育の弊害であり、そして社員としてはこれ以上扱いやすい存在はありません。

努力ではなく工夫、頑張りではなく頭を使う。
そういう文化をひとつでも築き上げていきたいと願ってやみません。

モチベーションを成果ではなく好奇心に向ける

「頑張る自分が好き」とか「負けず嫌いで成果が大好き」という人をたくさん見てきました。

彼らは、強烈な意味づけ力によってある意味盲目的に走り続けることができます。

そのモチベーションは悪くはないと思うのですが、外発的動機づけによってもたらされる頑張りというのは、実は継続しません。燃え尽き症候群に陥ってしまうのです。

何故ならば、頑張る理由を更新し続けるという作業は、とても骨の折れるもので、何か上手くいかなくなった瞬間や、周りの環境が変化してしまうと、自分自身で自分の中にエンジンを作り出すことができなくなってしまうからです。

周りとの差によってそれを推進力にして前に進む船は、無風状態になった時、あるいは逆風になってしまった時に、自力で前に進むことができないのです。

じゃあ、どうすれば良いのかという話。

イチロー選手、羽生善治さん、村上春樹氏。
というような、一瞬の煌めきもさることながら、何十年と第一線でやり続ける人たちのモチベーションは「好奇心」にあります。

将棋の羽生先生の言葉ですが、「20代の頃、私は才能とは一瞬の閃きのことだと思っていた。けれど、今となっては、才能とは努力を継続できることだと思う」という風に言っていたのです。

継続をすることが価値であるという強烈な意味付けが時間の重みを生み出す

たくさんの本を読んできた中で気付かされたことなのですが、世の中に何かを成し遂げた人たちは、必ずしも昔からスターだったわけじゃありません。

でも、どこかで無意識的にせよ、何かを成し遂げるためには、やり続けなければならないということを知っていた。

村上春樹氏の言葉に「時間を味方につける」という言葉がありますが、まさしくそうで、継続の価値が時間の重みを生み出し、それを自分自身の習慣とエネルギーにして進んでいくことができるわけです。

日々の中で、どうでもよくなってしまう瞬間は必ずありますが、その時に自分で自分を意味付けできるかどうかはとても大きい。

そのために例えば憧れの人に会ったり、本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を見たり、そういうことをしながら、自分を一歩ずつ進めていくのです。

ヒーローは、最悪の環境から生まれるという事実は、歴史が証明しています。