リベラルアーツとは、自由になるための自分学問の追求

2019年4月2日思うこと

いま、書店に足を運ぶと「教養」と名のつく書籍が山のようにあるのを目にすることができます。

「人生100年時代」に並ぶほどの「教養」ブームだと思うのですが、人生10年時代という名の「自己実現」の時代において、改めて教養を再学習することの重要性が謳われているのだと思うのです。

山口周さんの教養本にも書かれていたことなのですが、なぜ、教養を身につけた方がいいのか?というと、やっぱり僕は「いま、目の前で起こっていることを、正しくと耐えるため」ということに尽きるのだと思うのです。

僕が社会人になってコンサルティング業界に身を置き、いろんな人や組織と関わっている中で学んだことの中の1つに「リベラルアーツの大切さ」というものがあります。

リベラルアーツとは何か。それは、自由になるための学問だということです。

自由とは何か?

それこそ、個性は全て正しさであることを知るということだと思っています。

ちゃんと自分学問を突き詰めよう

幼い頃は誰しもが、自分なりの学問を追求していたはずなのです。そしてそれが個性だった。

学問というのは何も机の上でやるペーパーのものとは限らずに、例えば虫取り少年は1年中虫を追い続けていたはずですし、ゲームを追求する人もいれば、本気でポケモンマスターを目指している人だっていた。
野球やサッカー、電車オタクの少年少女だっていたはずです。

そういう自分学問を突き詰めていいんだよ、と社会が見守ってあげることこそが、次の時代(要は今の時代)に必要な環境なんだと僕は思っています。

それを許容してくれる親環境にあった子供は、自分の好きなことを心理的安全を持って突き詰めることができるし、結果としてそれが人生のベースかつ武器になることを後から知ることになります。

対象はなんでもいいのです。

1日中ゲームをやっている子供に向かって「そんなことをやっていても、将来役に立たない」と言っていた親がいたとして、気づけばゲーム業界で有名になって20代で親の年収を超える、なんていうことがあちこちで当たり前に起こる時代です。

先日引退をしたイチロー選手もそうですし、あるいは「さかなクン」だってそうです。あの人たちはもちろん特殊な才能を持っていたと言われても同意ではあるのですが、学ぶべきは彼らの才能ではなく、熱中できることを突き詰めるという熱意と、それを許容してくれる周りの環境があったことだと僕は思うのです。

僕も含めて今、仕事をしている人、企業に勤めている人だって例外ではありません。

「そんなことを言っても」と言い訳をするのは簡単ですけれども、場所や環境、年齢は関係ないのです。

現実的な問題もあるでしょう。でも、じゃあその中で自分の時間を作り出したり、1年で1つの分野を勉強してみることから始めてみてはいかがでしょうか?

10年やると、必ず人生は変わります。
人生というのは10年単位で変わるものなのです。

 


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