できることに付き合いすぎると、やりたいことはできない

2018年10月14日思うこと

突破するとは、捨てること

という言葉があります。

つまりは、自分にできることというのが誰しも持っていて、例えばそれは大学で学んでいることであったり、今まで経験してきたことであったりするわけです。

でも、自分のできることに付き合いすぎると、自分が心の底から望んでいる本当にやりたいことは、できなくなってしまうことが多い。

リクルートに「Will-Can-Must」という考え方があるけれども、自分のできること(あるいはできるようになること)というのはCanです。

特にそのCanが、Must(=周りに求められること)と重なっていた場合、どうしてもそちらに時間も労力も割くことになるわけです。

それは自然なことだし、そういった働き方や生き方ができることはある意味幸せではあると思うのだけれども、実はそのCanとMustが重なった部分に目が行き過ぎていて、本当に自分の望むWillが見えなくなってしまうことがあると僕は思っています。

少し僕の話を書くならば、僕は大学は物理学科で学んでいます。

僕はもともとは大学院に行く前提で4年間物理を学んできたわけですが、そしてやるからにはとことん勉強しようと思って没頭し、学部で主席の成績を取ったわけです。

言うなれば、今の僕にとって物理というのはある種できることであるわけで、その延長線に自分の進路を描くというのはごく自然なことなわけです。

でも、僕はその道をあっさりと捨てました。手離したというふうに言えるかもしれない。

それは僕がこの人生で本当にやりたいこととは違う、と直感したからです。

僕が大学で教員免許を取得していたこともそう。

僕は大学の3年間教職科目を履修し、去年の夏、母校の高校に教育実習に行きました。

そのときに、僕の母校の高校は私立ですから、理科、特に物理の先生がほしいということで、ゆってぃくん来年からうちに来なよ、と声をかけてもらったんですね。(ある種、内定です。笑)

その話を親はもちろん喜んだし、光栄な事だとは思うけれども、僕はその道もあっさりと手離した。

4年生後期の、教育実習後のまとめの講義も途中でやめてしまって、それまで3年半やってきた教職科目を手離したんです。残り一つの単位を取れば教員免許をもらえたけれど、どうしてもやりたいと思えるものじゃなかったから、ということなんです。(教育実習に行って、もういいやと思ってしまったことが一番大きかった)

できることを手離さないと、やりたいことはできない

当たり前ですが、やりたいことをやるためには、そうじゃないこともやり続ける経験は絶対に必要です。

僕が言っているのは、やりたくないことはやるなとか、できることはやるなとか、そういう次元の話ではありません。もちろん。

そのバランスというのはすごく難しいと思うのだけれども、何かを選択するときに一度、ちゃんと自分の頭で考えることをしようということです。

物理には「慣性の法則」というものがありますが、要は、どこかで決断を変えないと、人間は今までやってきた延長線で次の選択をしてしまうんです。

僕自身の経験を上に書きましたが、それ以外にも手離したものというのはたくさんあります。もったいないというお言葉をこの人生で何度言われたことか。

あくまでも僕は、その瞬間瞬間で局面を止めてみて、自分の頭と、直感と、これは本当に将来やりたいことにつながっているのか、あるいは逆に遠回りの財産になるのかどうか、ということを考えることを意識している。

そんなものは結局、後になってからしか分からないのだけれども、考え続けるということが大切だと思っていて。

その上で、自分で決断をして選択したものに関しては、これ以上ないくらい打ち込む。精一杯がんばる。将来役に立つかなとか、自分には必要かなとか、そんなことは関係なしにその瞬間の「今」に全力で傾注する。

というのが、僕の物事に対する一貫した姿勢なんです。

これからの人生、どこまで行けるか。何ができるか。なんてことはもちろんわからないけれども、その姿勢は忘れずにありたいなと思っています。

ありがとう。