迷ったら「周りに反対される方を選ぶ」と決める

思うこと

以前に、人生における決断の軸について書いたことがありました。

進学、就職、転職、結婚、などなど。

人生ではたくさんのライフイベントがあります。

僕自身はまだ、人生におけるライフイベントというのはまだ「進学」と「就職」くらいしか経験をしていませんが、10代の時から決めていた「迷ったら、こっち」という軸があって、今の僕があるのだと思っています。

僕が最初に就職をした会社は大企業ですが、配属された今いる部署は、すごく小規模の世界で、周りの先輩たちはみんな転職組の人たちでした。

年齢柄、30歳前後の人たちが多いことも影響をしているのだと思いますが、転職、結婚、出産、引っ越し(家を買う)、そして転職と、結構大きなライフイベントを目の当たりにする環境に、すごく驚きました。

もちろん大学時代までも、同級生や知り合いでそういう人たちを見たこともありましたが、こうも身近な人たちが立て続けにいろんな人生の決断をするのを見る中で、人生って面白いなあとしみじみ感じています。

多くの人たちは、迷うんですね。

そうやって迷った人たちがした決断のあとで、幸せそうな人たちと、そうではない人たちがいて。

何が違うんだろう?と思ってよくよく見てみると、社会の縮図を感じさせられるわけです。

迷ったら無難な方を選んで、後悔する人たち

今の日本でいうと、30代を過ぎた頃からのライフイベントは、自分の人生だけではないものが重なって来ます。

家族があるから。子供がいるから。嫁の、旦那の、家族があるから。

なんか、幸せってなんだろう?と思うわけです。

例えば、旦那が辞めてというから、今の仕事を辞めなければならない。(でも自分は続けたい)

この場所にいても輝けないとわかっているのに、家族のため子供のため、好きでもない仕事で命を削っている人もいます。

色々、事情はあるのでしょう。でも、そんなものなのかなあ?とも思ったりするわけです。

社会一般的にみると、僕のいる会社や環境は、かなり恵まれているように見える人たちが多いはずです。(そして、クライアント先でも、それは同じこと)
でも、そんな場所でも、否、むしろそういう場所だからなのか、いろんなものを背負って、自分の人生が暗くなっている人たちの多いこと。

人生において迷ったときに、無難な方の選択をし、後悔の人生をしている人たちのなんと多いことでしょう。

どうして、そういった人たちが、人様の幸せや人生のために、と言えるのでしょうか。

迷ったら「周りに反対される方を選ぶ」と決める

極論ですが、それでよくないですか?と僕は思う。

自分の人生なのです。別に誰かに多大なる迷惑をかけるのでないならば、まずは自分で決めたらよろしいじゃないですか。

迷ったら、です。念のため。
迷ってもいないのに、天邪鬼で反対の方を選び続けていると、破産します。

僕は、人生の決断において、親や教師が反対する方を選ぼうと決めました。

例えば、就職先の相談を一番してはいけない人種、それが両親です。
30年、40年前の価値観で生きている人たちに、いまの時代のキャリアを相談すること自体がナンセンスだということです。

親世代には親世代の正しい選択、人生の価値観がありました。
今の僕らの世代には、僕らの世代の選択、価値観があるということです。

上の世代や、周りの人たちの意見を総無視したらどうですか、と言っているわけではないですよ。
ちゃんと、知りましょう。聞きましょう。
まるバツをつけず、一回は自分の中に入れてみることも大事だと思います。

その上で、自分で選択をし、決断をしていったほうが良いのだと思うのです。

自分の人生なのですから。

僕は、そういった人たちに向けて、一つでも何かのきっかけになるような言葉を届けたい。

だからこうして、書いていますし、発信し続けたいなと思っています。