社会に出て大切なのは、大学で「何を学んだか」ではなく「どこで学んだか」である。

2018年9月6日働き方・キャリア, ビジネスパーソン向け, 大学時代




憧れの会社はある。志望動機はない。

憧れの会社はある。志望動機はない。

こう言うことを書くと色んなことを言われるでしょうし、なんか炎上しそうな気もするのですが、タブーこそが世の中の本質だと思うので、本音で書きたいと思います。

これから先、ますます「学歴」の時代だと僕は思っていて、今の時代だからこそ、物事の本質というか社会の本音をちゃんと見るべきだと思っています。

大学の価値ってなんだろう?

僕の大学時代の後輩に、大学4年生のいま(8月ですね)に、大学をやめようとしている人がいます。(わりといる。ひとりじゃないです)

正確には転入ということで、地方の国立大学から都会の私立大学へ転籍をし、内定先のイケてる企業でバリバリとやっていきたいと。

その気持ちはよーくわかる。僕もそうでしたから。笑

おそらくは時代の流れとしてはそれが正しいでしょうし、周りのイケてる大人たちはその選択を推奨するんだと思っています。

時間が勿体無いと感じられるし、たった半年でさえもどかしい気持ちはよくわかる。

大切なのは「どこで学んだか」ではなくて、「何を学んだか」であると思っているからこそ、自分の力で勝負していきたいと思っているんだと想像します。

と言うことなのですが、ここはあえて逆説でいうと、ぶっちゃけ社会に出て見られるのは「大学で何を学んだか」ではなくて「どの大学を出たのか」ということ。

それこそが価値であるし、そこで測られるという社会のリアルを知った方がいい。

その人が優秀だと思うから言っているんです。どうでもいい人なら、好きにしたらどうぞと思う。

たとえば僕は地方の国立大学出身ですが、やっぱり「市場価値」なんていうものを突きつけられる世界においては、国立大学を出ているということはすごく大きな意味を持ちます。

それだけで優秀であるとか、私立大学がダメだとか、そんな低レベルの話をしているわけではありません。

要は世の中の人たちが何を持ってその人を判断し、その人を見るのかということです。

自分が天才だと思っていて、人よりも圧倒的に図抜けた何かを持っていて、しかもその能力を社会の壁に埋もれさせることなく発揮できると一点の曇りもなく思うことができるのならば、好きにしたらいいと思います。

ますます学歴社会の時代へ

僕らの親世代の時から「学歴社会は終わった」だとか「これからは実力の社会だ」とか言われていました。

あれから数十年たちましたが、学歴の社会は終わりましたか?

そんなことはないでしょう。むしろまだまだ学歴社会なわけで、周りを見れば一目瞭然のはず。

建前とかはどうでもよくて、ぶっちゃけ目の前の人が東大や京大出身の人だったら、一目置くでしょう。

世の中のタブーとはそういうことです。
タブーとは、みんなが本音で思っているけれど、なかなか言えないことです。

これからは、ますます学歴社会の時代になります。
大学はもっともっと減っていくわけです。数でいうと今の大学数の半分以下になる時代が来ます。

国公立大学に入れる人は少ないし、ましては一流大学に入れる人はほんの一部です。

僕なら、その価値をきちんと見極めて、最大限に活かすという選択肢を持ちます。

選択肢を最初から放棄するという道は、僕ならとりません。

それでも自分はいける!と思っているならば、それもまた正解でしょう。

<追伸>

僕の言っている意味は、いずれわかるはずです。時代は必ず変わるから。

「学歴があればいい」という十分条件を語っているわけではありませんよ。念のため。そんなに社会は甘くない。

<追伸の追伸>

これを読んでくれている10代の人たちがいるならば、ひとつ伝えたいことがあります。

ぶっちゃけ、きちんと勉強をして、一流大学に入った方が人生は得ですよ。

やろうと思ったって、多くの人はできないわけですから、できる選択肢を持っているならば、そのカードは最大限に使った方がお得です。

<追伸×3>

僕がお金儲けをしたいなら、自分自身がプチ成功したあとに「学歴なんて関係ない」と声高に叫びます。




憧れの会社はある。志望動機はない。

憧れの会社はある。志望動機はない。