社会に出ると「正解」であるかどうかは関係ないんだなって知って震えた話

思うこと, ビジネスパーソン向け, 経営者向け, 学生時代

僕が経験した話を書こうと思うが、その前に、少しだけ一般論にお付き合いいただきたい。

 

学生時代と社会人とはルールが違う。

このフレーズを聞いたことがある人もいると思うし、僕もこのブログの中で「学生のルールと、社会人のルールは違う」という話を何度か書いたことがある。

じゃあ、学生と社会のルールは何が違うのか?という問いに、明確に答えられるだろうか?実は大人の中でも「学生と社会のルールはここが違う」と具体的に答えられる人って意外と少ないと思うんだ。

学生時代と、社会に出てから一番大きく違うのは、模範解答がないということ。

模範解答があるのが、学生時代。
模範解答がなくなるのが、社会のルール。

学生時代までというのは、誰かが作った模範解答を覚えて、それに近いアウトプットができるか否かが重要だった。

けれど、社会に出てからは、そもそも模範解答なんてものは存在しない。

正確にいうと、誰かが作った模範解答には価値がないので、模範解答を出した時点で「0点」ということになる。なぜかって?その答えが模範解答だからだ。

社会ではご存知の通り、正解はない。し、逆にいうとなんでも正解になる。
正解であるかどうか、模範解答に近いかどうかなんていうのはどうでも良いのだ。

 

重要な点なので書いておくと、一応「模範解答を知る」ことは重要。それは否定していません、悪しからず。

業界の常識だとか、企業の中での過去の経験則だとか、社会のルールを模範解答として知っておくことは重要

じゃあ、なぜ模範解答を知ることが大切かというと、その模範解答と同じ答えを出さないために模範解答を知っておくことが重要なのだ。

ここは間違わないで欲しいのだけれど、模範解答をアウトプットするためではなく、模範解答と同じもの(あるいは近いもの)をアウトプットしないために、模範解答の範囲を知っておくことが重要なのだ。

 

この前提は超重要なんだけれど、世の中の多くの人たちはいまだに模範解答を探し求めているし、誰かがやったこと・保証があることにしか安心しない。

そういえば今この文章を書いていて思い出したのだけれど、かの有名なグーグル(Google)社で、眼鏡型ウェアラブル情報端末「グーグル・グラス(Google Glass)」の事業が失敗だったと公言したのだけれど、その責任者の人は、ちゃんと評価されて昇進したという話。

グーグルの考え方で重要なのは、グーグルグラスが事業に失敗したことが悪いことではなく、「グーグルグラスは世の中に受け入れられないことを証明した」という点を高く評価したこと。

だって、スマートグラスの市場をここまで拡大したのはGoogleの貢献があったからで、新たな市場を作り出し、可能性を広げたという点で彼らは1つの解答を自ら作り出したわけです。

一般ユーザーに受け入れられないことを証明したという点で1つの大きな成果とし、次は産業向け(企業向け)に戦略をシフトさせていま、頑張っているのだと。

この考え方の違いのような気がするのですが、いかがだろうか。

重要なのは正解かどうかではなく「納得感」

話を戻して、僕が実際に経験した話。

この仕事をし始めて少し経った頃、相対する社長や、企業の経営陣の人たちに対して、他の人や他のコンサルティング会社なんかはたくさんあるけれど、ぶっちゃけ僕の言っていることの方が重要じゃん!と割と本気で思っていた。

ただ、そのやり方と言語化が出来きらなくて、モヤモヤしていた。それだけのこと。笑

最初はもちろん、各業界の正解を学んでいったし、実際にコンサルティング業界の人たちが何を価値として高額なフィーをもらっているのかということを必死になって研究したりもした。かなり勉強したと思う。

で、行き着いた答えは結局、優秀な人たちが、優秀なフレームワークを用いて分析・結論を出せば、大抵は同じような答えに行き着くのだと。

要はアウトプットは大差がないよねということ。

きれいな資料に落とし込み、安くても数百万、数千万円のフィーをもらうのだけれど、それを持ってうまくいく企業もあれば、そうじゃない企業もある。その違いがどこから来るのか。。

 

僕がいま、長くお付き合いをさせてもらっているクライアントから評価されている点がなんなのか。

それは実は各コンサルティング会社が出すようなジェネラルなすごい情報を提供することではないんだな、と気づかされた時に一気にフィーが跳ね上がった。ここだけの話ね。

業界の人たちが長年考えても解けない問題に対して、模範解答を提示したところで「そりゃあ、そうだ。自分たちもやってきた」と一蹴されて終わり。

模範解答の提示ではなくて、むしろそこからいかに離れられるか。違う角度で光を当てることができるか。別の問題提起ができるか。それを「納得感」を持って届けられるか。これに尽きるのだと。

 

今僕がクライアントから評価されている点って、実は「言葉の力」なんだよね。キラーフレーズをどれだけ持っているかっていうこと。

例えば、お客さんが困っている問題・課題があったとする。

それに対して「こうしたら良いのではないですか?」という模範解答を提示したところで、よほどのことがない限り、それを「そうだな!」と思って貰えることってないよね。

大抵の場合は「その通りなんですが・・・」と言われておしまい。最後の「・・・」に入る部分に企業の本質的な問題があるということなんだけど。

僕の場合、いま彼らのお困りごとに対して「気づき」を促せるような言葉をプレゼントするようにしている。このブログに書いてあるようなことだよ。
フレーズとして、いま相手が欲しいだろうな、もらったら嬉しいだろうなという言葉を圧縮して伝える。

その言葉の背景にはもちろん、模範解答を知っているだとか、ビジネスのフレームワークを踏まえているだとか、その業界のみならず、異業種・異業界の場合はどうだとか、そういうバックボーンがあるのは必要条件ね。

でも、この必要条件までなら、水準以上のビジネスパーソンならいくんだと思う。

そこから先、人の心を動かしたり、納得感を持ってもらうために、それぞれどんなことをしますか?ということなのだと思う。

僕はそのことに気づいて震えた。ああ、こういうことかと。

何を持って「納得感」を生み出すのかは人それぞれ

上に書いたような話はもちろん、僕の中だけで見つけた答えではないし、とはいえ巷に溢れている模範解答でもないと思う。

いろんな人や企業をみていると、例えばセールスパーソンとして売れている人・そうでないひと。コンサルタントとして評価される人・そうでない人。

優秀な人たちが集う企業なんだけれど、どうもうまくいかない企業もたくさんある。

じゃあ、評価され、各々の場所で輝いている人たちは何が違うのか?ということを見つめていくと、それぞれのやり方で「納得感」を生み出しているんだなと気づかされた。何度もいうけれど断じて正解かどうかではない。

例えば一流企業がマッキンゼーという一流のコンサルティングファームに数千万円ものフィーを支払う理由の1つは、「マッキンゼーを雇って無理だったら、しょうがない」というブランドと理由から来るところが多い。正直な話ね。否定しているんじゃないよ、それだけ本気だということの証拠だと思うから。

彼らはそれが1つの納得感を生み出している、ということなのだ。でも、それを他の企業が同じようなことをしようと思ったら出来なくて、それぞれの在り方があると思う。

長くなってしまったけれど、ビジネスビジネスという話が苦手な人はごめんなさい。

一番いいたかったのは、正解かどうかは関係なく、自分なりの模範解答を作ろうよ、ということ。
自分なりの模範解答が出来たら、楽しいよ。

あなたの何かのヒントになれば嬉しい。読んでくださってありがとう。

 

正解がない問題を考え続ける社会は楽しい。