知性とは、わからないものに対する姿勢にあらわれる。

2018年9月4日思うこと

知的な人というのは、どういう人のことでしょうか。

僕がいるコンサル業界というのは、いわゆる「地頭がいい」と言われる人たち、賢い人たちが比較的多いような気がするのですが、「頭がいい」というのと「知性がある」(知的である)ということは別のことだと思わされるような気がします。

一時期「地頭を鍛える」という言葉がすごくブームになりました。

それは、人間の「頭がいいと思われたい」というコンプックスをくすぐったマーケティング手法なのですが、「知性を鍛える」というのはあまり目にしないような気がします。(「教養」を身につけるという本などはよく目にします)

知性とは何か?

世の中には「学歴」「資格」「職業」などなど、その人の「頭の良さ」を測るモノサシがたくさんあります。

その中で最も手に入れにくいものはもちろん「学歴」です。

だからこそ今の日本において「学歴」の話題はタブーですし、「学歴なんて、関係ないよ」という言葉だけが一人歩きするわけです。

「地頭を鍛える」や「教養を身につける」という本がバカ売れするのは、それだけ自身の頭にコンプレックスを持った人が多いということです。

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さて。

単に「頭がいい」ということと「知性がある」(知的である)ということは別のことだと書きました。

知性とは何か。

知性とは、自分自身がわからないものに出会った時に、きちんと向き合う姿勢のことを言います。

人はわからないもの、理解できないことに直面すると、一般的には2つの行動を取ってしまいます。

1つは、無視する。

そしてもう1つは、攻撃するです。

自らが知らないことに対する態度こそ、知性の表れだということ。

あなたの身の回りを思い返してみると、「知性があるな」とか「知的な人だなあ」と思う人はみな、わからないことや自分と同じ考えを持たない人を攻撃したり、無視したりはしないはずです。

逆も然り。人は知的怠惰に生きると、批判者になってしまうのです。

「批判ではなく、提案を」とはよく言ったものですが、傍観者ではなく、自分自身の物語の主人公としていきたいですね。