清濁併せ吞む

社会人6年目(東京)

僕は来月、新卒で6年間勤めた会社を退職し独立します。

自分の経営する会社が3年目を迎え、僕はそこに完全にシフトします。

12月に30歳を迎える僕としては、一つ人生の転機というか節目。(特に数字に意味はないと言うけれど)

そんな中、会社員として入社当時から数年間お世話になった、大先輩の方とひょんなことから「一杯いきましょう」ということになり、行きつけという銀座のバー(というか地下の食堂)に連れて行ってもらいました。

思い返せば入社して間もない2017年4月の後半、東京から大阪に引っ越す直前にも数人で食事の機会があり、その方と話したなと。そしていま、会社員を卒業する節目として、語り合える機会をいただけたことに何かのご縁を感じるわけです。

僕の学生時代からの背景、家庭環境を踏まえた出自のバックボーンと、今自身で取り組んで3期目を迎えた会社のこれからの思いと経営の在り方についてを、たった1時間やそこらで汲んで聞いてくれて。

その中で、言ってくれたことが「清濁併せ吞む」ということでした。

昭和の大先輩の彼が、何十年にもわたってビジネスの最前線で見て経験してきたことの言葉の重み、厚みというのは想像を絶するものがあります。

今とは時代背景も異なるけれど、それでも本質は時代を超えて変わらない。

「ゆってぃくんは、ひとつ世の中に綺麗事を叩きつけたのだ」と嬉しそうに語ってくれて。

その思いを持って、30代を費やすものがあって。
そんな中、綺麗事だけでは世の中進まないこともあるかもしれないと。

世の中、社会、人間の裏を知った上で、それでも綺麗事を言い続けるのと、何も知らないのとでは全然違うのだと。

嬉しかった。ああ、久しぶりにこういうことを言ってくれる人に出会ったなと思いました。

ともすればただのおせっかいで、うざいおじさんになりがちなのが99%。

人生の先輩というだけで、たまたま早く生まれただけで、「人生の先輩として」を語る補欠の先輩は多いけれど、愛情とリスペクトを持って言ってくれるその言葉に、僕は感動しました。

清濁併せ吞む。僕の言葉で言えばアウフヘーベンです。人生は白か黒かじゃない、その間の色が無限に広がっているのです。

その方はリタイアした後に、各地を回って風景の水彩画を描き続け、個展を開くのが夢だと言っていました。

いつかその方の、個人的な(些細な、でもカッコいい)夢が実現した際には、必ずその場に行きます。

その方のような人に応援される僕でありたいし、会社でありたいものです。出会に感謝。