プレゼンテーションとは?を考える
「プレゼンテーション」について話をしていました。僕の考え方を聞かれた際に答えた内容をもとに、備忘も兼ねて書いてみようと思います。
文字通りプレゼンテーションについてなのですが、僕自身がプレゼンというものをどのように捉えているか、という考え方についてです。
まず、「プレゼンのハウツー」なんていうものは世の中に溢れかえっていますから、分かりやすい資料を作るポイントとか、伝わる話し方については、書籍やウェブで情報収集をして、自分なりに落とし込んでください。以上。
という前提で、僕自身がプレゼンやセミナー、講演を行う上でポイントだと思っていることは2つあります。
1つは、上澄の一滴を話すということを常に意識する。
2つ目は、質疑応答で圧倒することにこそ価値がある。
この2点です。1つずつ解説します。
圧倒的に100準備をし、上澄みの一滴を伝える
これは僕の考え方ですが、話し手が伝えたいことはほとんど相手には伝わらないのです。
であれば、圧倒的に100準備をし、その上で上積みの一滴を伝える。
実はこれはかなりレベルが高くて、事前資料をたくさん用意して「話をするだけ」なら一程度、誰でもできるわけです。
ですが、ちゃんと伝えたいメッセージの真髄を相手に伝えて、心を動かすというレベルまで考えると、これが結構難しい。
上澄の一滴を伝えるためには、その100倍は準備をしなければなりません。
有名な「80:20の法則」というものがありますが、まさしくプレゼンで重要な80%の内容は、20%に集約されているのだと思うのです。
そして本質的な一点こそプレゼンテーションにおいて伝えるべき上澄の一滴で、それが分かっている人と、本質がわからないままダラダラっと話してしまう人とでは、聞き手の心に残る重さのようなものが、全く違ってくるのです。
質疑応答こそ人生の模擬試験だと知る
資料を準備して話すプレゼンテーションそのものを定期試験だとすると、その後の質疑応答は模擬試験です。
定期試験は範囲が決まっているので準備をして臨むことができる。
でも、模擬試験は範囲が決まっていないので、今までの全てから出題される可能性があるということです。
社会に出てからの質疑応答は、学校で受ける模擬試験よりも難しく、今までの生き様全てが問われる瞬間なのです。
生まれてから今日までの生き様と、知恵と、経験と、そういった全てを振り絞って、吐き出した一言にこそ、話し手の本質が含まれるのです。
僕自身は今、かなりの数(それこそ毎月数件の単位で)勉強会なりセミナーなりを、話し手として登壇させてもらっています。ありがたい話です。
その中で僕が最も評価されているのは、セミナー本編ではなく、その場での質疑応答です。参加者からの質問に対して、即興で答える回答で、場を圧倒するのです。
ビジネス的にいえば、話した内容に対しての質問内容というのは、ある程度想定がされます。
もちろん仕事的にいうと想定の質問と、その質問に対する回答というのは準備します。
その上で、プラスアルファ、斜め上をいく回答をするのです。それこそが僕が母なすということの価値になるのだと思っていて、質問者は即興で返された回答が想定よりも何倍も本質を突いていることに、煌々とした表情を見せるのです。
もちろんプレゼンを行う人、話し手のタイプによって、何を力点とするのかは異なります。
僕自身としては、どういう場面においても、何を聞かれてもその大半は今までの人生においてほとんど何周も前に考えて終わったことを質問されている感覚になるので、誰もが少し考えれば思いつくレベルを圧倒的に超えた次元での回答をアウトプットすることで、心に強く印象付けることができると思っています。
プレゼンもセミナーも講演も、参加者との知恵の掛け合いこそが最も楽しい瞬間です。
僕のことを知っている人からすると、僕が「なるほど」と唸らされる質問をしてやろうと知恵を絞ってきているわけで、僕はそれに対してさらに上をいく回答ができるかどうか、という知的格闘技をしている感覚です。
それがまた楽しい。僕が今までの人生で学んだことです。
このブログはそのアウトプットの1つの場であり、トレーニングのフィールドなのです。