猫も杓子もブランディング

思うこと, ビジネスパーソン向け, 経営者向け

ビジネスの世界で「ブランディング」と謳われるようになったのはここ20年くらいだろうか。

聞いたことがある人も多いと思う。

ここでいう「ブランド」とはもちろんヴィトンやエルメスというブランドのことではなく、企業や商品の「ブランド」を作るということの話。ようは大きなブランドではなく、個人や零細企業の自己満足のブランディング。

「セルフ(自己)ブランディングが大事」だとセールスの世界で言われてそれを信じている人も多いのだけれど、本質を見誤ると痛い目を見るのは未来の自分だよね、という話。

 

猫も杓子も「ブランディング」を始めやすくなったのは、もちろんSNSが普及したことが大きな要因の一つである。

例えば僕のいる人材業界や、お隣のコンサルティング業界で言うと、ここ数年で「企業人事(採用担当)」の自己ブランディングが激しいのが印象。
そしてまた、それに見事に騙される学生が、虚像のブランドを信じて社会に繰り出していく構造があり、どうにかならないものかと思っているのだけれど。

SNSで採用の云々を語る企業や人事の方々の「イメージ」ではなく実際の「言動」をきちんとみてみるといい。漫才かと思う。

もともと「採用ブランディング」と言うのは、作り手側はもちろん自社だけではなく、それを仕事として請け負うプロフェッショナル集団が存在していた。
コンサルティングのプロ集団という位置付けのような人たちだ。

それこそそんじゃそこらの企業人とは一線を介したリベラルアーツの造詣であったり、人としての魅力を持っていなければ、誰かのブランド作りを手伝おうなんていうのは無理な話なのだ。

それっぽいキャッチコピーと異様に綺麗なホームページ作りがブランディングなのではなく、過去の生業をひとつひとつ棚卸して言語化し、膨大な言葉の海の中からその企業「ならでは」を炙り出していく作業は、職人の仕事といっても過言ではない。

ブランドというのは一朝一夕にできるものではなくて、まずは経営者自身が誰よりも本気で考え、自社の社員に浸透させるまで膨大な時間をかけ、その行動変容が提供するサービスや顧客の認知にまで広がって初めてブランドとなる。

という背景をすっ飛ばしにして「キャッチコピーとホームページを作り、SNSのフォロワーを増やすこと」をブランディングと考えているのは・・すこし浅はかではないだろうか。個人的な所感だけれど。

ブランディングを振りかざすデメリットは自分で払う

僕の知る中で、本気でクライアントのブランディングを行える人や組織というのは、日本に数えるほどしか存在しない。

それ以外の9割は「ブランディングが仕事」だというけれど、実際にやっているのは制作の下請けだ。

それ自体が悪いと言っているのではなく、むしろ大きなデメリットとして僕が思うのは、

・大した実力がない中でも、小手先のテクニックでお金儲けができるようになってしまった(個人も企業も)
・その結果、氷山の一角として表面に見える1割をみて仕事をする人たちが急増した
・そのつけを払うのは実は自分自身で、「時間」が経つとともにブーメランになって戻ってくる

というようなことだ。ようは目先のテクニックで小金儲けを考えてしまうと、数年後に悲惨な目に遭うのは自分自身ですよ、という話。

平成の数十年の間で、圧倒的に便利になったインターネット社会のおかげで、プロフェッショナルの平均値が圧倒的に下がってしまったのだと想像する。
同時に、そのつけを払うのは自分自身であり、お金を払うのはユーザーであり、つけを払うのは社会なのだと思う。

逆にいうと、テクニック論には多少疎くとも、愚直に実力と人としての魅力を蓄え続けているような人こそ、本来は経営者が自社のブランド作りのパートナーとして選ぶべき相手なのではないかと、僕は思っている。

 

いつの時代も「これからの時代は」というけれど、ひとつ令和の時代は転換期なのかもしれないね。

勉強し放題の時代だからこそ、勉強している圧倒的少数の人たちは際立つ。