今時の若者が結婚しないのは、結婚によって得られるメリットが相対的に減ったからという考察

日々徒然

少し前に母親と話をしたときに、ありがちな「結婚」の話になりました。

僕の母はどうやら自分たちのことを棚に上げて(笑)結婚というものを息子にして欲しいと思っているようです。人間というのは本当に不思議なものだなあと思うのですが。

母が僕に対して「今の時代の若者は、結婚したがらないのだから・・」と。
その話を聞きながら考えたことは、今の若者(という言い方をしますが)は「結婚しなくても人生楽しいよね」と気づき始めた人が多いということだと思っています

本当は一昔前にも「結婚は本人の自由だよね」と考える人だって大勢いたはずですが、社会のマジョリティが「結婚はすべきものだ、離婚したひとは悪だ」とする風潮があったので、言い出せなかっただけなのではないかと思うのです。

結婚によって得られるメリットが少なくなった

綺麗事を抜きにすると、結婚はお互いのメリットがあるからするもの、という事実が大半を占めると思うのですが如何でしょうか?

もちろん「一緒にずっと過ごしたいパートナーだから」「お互いのことが好きだから」という理由で、社会的に「結婚」という制度を選ぶ人もいますが、その気持ちが時間と共に薄れてもなお、結婚制度に乗っかり続ける人があまりにも多いように思えるのです。

となると、最初はもちろん「お互いの好意」が先行して結婚をした人たちであっても、時間を経るごとに「互いのメリット」を考えて一緒にいるということになるはずなのです。

例えば、昭和の時代では一般的に「男性が外で稼いできて」「女性は家庭を守るものだ」という役割意識が明確にありました。
これは僕の意見ではなく、事実としてそうだった、という話です。

昭和の時代とは高度経済成長期とほぼ同義ですから、男性は定年まで1社で勤め上げることで年々給与が上がっていくわけです。
転職や独立もなかなか一般的ではなかった時代では、例えば上司やお客さんと毎日接待で飲み歩くと。

今の時代こそ、毎日飲み歩いて接待をするというのは減りましたが、昭和の時代はそれが当たり前。飲み会も接待も仕事のうちで、それによって上司に気に入られて会社の立場が良くする必要がありました。
なぜならば一生その会社に居続けることを想定しており、居続けることで給料が毎年上がっていくわけですから、多少無理をしてでも飲み会を仕事とするのが「当たり前」だったわけですね。

そうすると当然、結婚した奥さんには家のことをしてもらう必要があるわけです。
家事や子育て、家の掃除、ワイシャツのクリーニングなども男性が行う時間なんてありませんから、当然奥さん側との役割分担が行われるわけで、明確にメリットがあったわけですよね。

女性側も同様で、家のことをきちんとすることによって、男性側が社会に出て毎日飲み会をしてこようとも、上司やお客さんへ接待をしまくってしようとも、それによって毎年給料が増えていくわけですから良いわけです。

毎年給料が増えていくことで郊外に家を建てることもできるし、子供を育てることもできる。

そうやって日本の経済は発展してきました。
何度も言いますが、僕が感想を言っているわけでも評価をしているわけでもなく、ただの事実を書いているのです。

それが今の時代は変わりました。

「今の若者は、飲みに誘ってもなかなか来なくなった」というのは、上の世代が飲み会が好きで、今の若者は飲み会が体質的に嫌いになったわけではなく、飲み会に行くメリットがなくなった、ただそれだけの話です。

仕事の延長線で上司を接待しても、別に一生その会社にいるつもりもないし、いられるとも思っていない。飲み会に行っても給料が上がるわけではないので、だったら「家に帰ってゲームをしたいので、今日は帰ります」となるわけです。

結婚をしたい若者が減ったというのも同様で、結婚によって得られるメリットが減ったと考えるのが妥当だと僕には見えるのです。

毎年給料が上がるわけでもないので、家や車を買いたいとも思わない。
そんなことをせずとも楽しいことはたくさんあるし、結婚して家庭的な奥さんを迎えなくとも、美味しいご飯屋さんはあるし、家で食べたいならコンビニも近いしウーバーイーツもあるわけです。

1人暮らしの男子代表として僕が語りますが、自炊をガッツリ行うよりも、スーパーでお惣菜を買ってきたほうが結果的に単価は安いのです。自炊は1人で行うとコスパが悪かったりもします。笑

とまあそんな話は置いておいて、今時の若者の価値観だけが上の世代と比較して変わったというのではなく、20代〜30代で置かれている社会の状態が変わったのだと。
社会の状態が変わったので、その変化に合わせて若者の価値観も適応していると。それだけの話だと僕は思うのですが、如何でしょうか。

 

母との話をきっかけにした、僕の考察という名の感想文でした。