感性は僕らに知らない世界を見せてくれる
今思い返してみると、高校時代までの僕は、すごく生きづらさを抱えて生きていました。
特別、何かがあったわけでもないけれど、そして僕が生きている僕の周りの社会に、僕はうまく適していけない気がしていて。
かと言って、じゃあリアル社会に適していないかと言うと、そんなことはなかった。
むしろ僕は、すごく器用に、僕の周りの社会に適応していたと思うんです。
周りの期待に応えること。
それは僕の得意なことだったし、そして僕はわりかし上手に、それをすることができた。
それが、10代における僕に生きかただったんです。
一方で、仮に僕の外っ側の方はうまく周りに適応していたとしても、僕の内側の方、つまり感性はそういうわけにはいかないんです。
頭では、わかっている。
僕に何が求められていて、そしてどう振る舞えば、うまくいくかということを。
でも僕の感性は、それについていけない時があって、そしてそれは時間が流れるほどに、そのギャップは大きくなっていきました。
僕は、僕と言う人間は、すごく不器用な生き方という大枠を抱えた中で、すごく器用に生きていたんだと思います。
それが、僕のプライドだった。
今となってはつまらないプライドなんだけれども、当時はそれがなければ、あまりにもしんどすぎた。
だからこそ僕は、目に見える何かに目を背け、見ないふりをして生きていました。
自分でも目を背けているということにすら気づかないほどにうまく、それを隠して。
実を言うと、ここ最近まで、僕はそんな風に生きていたんです。
もちろん、すごく成長しました。
10代の僕とは比べ物にならないくらいに、いろんなことが器用にできるようになりました。
大学に入った頃よりもずっと、いろんな経験をして大人になった気がします。
一方で、僕の中の何かは、ずっと幼い頃のままで時間が止まっている。
そんな感覚に気づいたのは、本当に最近になってのことです。今年のこと。
感性というのは、不思議なものです。
尖れば尖るほど、感性は敏感になっていく。
いろんなものに、すごく反応する僕の心があるんです。
いろんな景色が、あまりにも鮮明に見えすぎるという経験はきっと、あなたにもわかるものがあるはず。
そしてそれは、僕らに知らない景色を見せてくれます。
時には、すごく綺麗な世界を。そして時には、見たくないものも見る必要があります。
感性は僕らに、知らない世界を見せてくれるんです。
そして僕は、この感覚を忘れずにありたいなと、そう思います。
もちろん感性が振れているということは、いい面もあるし、時にはよくない面もある。
よくないというのは、リアルな社会においては、自分自身が生きづらくなってしまうことが多い、ということ。
だからこそ10代の僕は、自分の内側の声に耳を傾けることをせず、そして見ないふりをして、生きていたんだと。
これから僕は、社会の扉を押し、まだ見ぬ世界へと足を踏み入れていく。
自分自身で、その決断をしました。
開ける扉も、踏み出す世界も、少なくとも今の僕が、僕自身で選んだのだと。
だから僕は、もっと強くなりたいと思う。
見えない感情に蓋をするのではなくて、自分の感性にしたがって生きられるように。
そんな未来を描きながら、まずは僕自身が、僕自身のこの2本の足でしっかりと立っていられるように。
柔らかい感性と強い心のどちらかが必要なのではなくて、きっとどちらも必要なもので。
なぜなら、あなたはあなただから。
そして、僕は僕だから。そう思っています。
これからも僕は、僕の道を淡々といきますね。
いつも、ありがとう。
<追伸>
金曜日の夜はなぜか、大学にいることが多いです。最近。
気づけば日付が変わって、深夜1時になった研究室より更新。
かえります。