与えられている側の子育て論(パート3)

子育て論

要望いただいたので「子育て論」という新しいカテゴリーを作ってみました。笑

今まで書いた教育系(?)の話をまとめているので、よかったらどうぞ。

僕自身の塾講師時代の話を書いてみようと思う。

何度か書いている内容だけれど、僕は大学時代に約3年間、塾講師をやっていた。
数学専門の塾だったので教科は数学。対象は小学生から高校2年生くらいまで。

僕自身が中学時代に通った出身の塾だったので、僕が地元の大学に進学して挨拶に行った時に「うちで教えない?」と塾長に誘ってもらったのがきっかけで、僕はその塾で教えることとなった。

僕が塾生時代には、中学3年生までしか在籍できなかった。
と言うのも、中学3年生までに高校数学を全部終えてしまい、高校1年生に上がった時はもう大学入試の数学は2次試験の勉強を自分でできるようにと言う前提の考え方と、あとは他の教科も頑張ってね〜というライトさがあって、それが心地よかった。

僕が中学時代なので、今から考えると12〜13年前の話。当時からライトな感じで言っていたが、言っている内容は全然ライトじゃない。笑

その塾に通っている生徒は、僕の在籍していた中学校と、その他、県内の進学校と呼ばれる私立の中高一貫校の生徒たちのみで占められていた。
僕の学校のクラスの友人がその塾に通っていて「ゆってぃも一緒に行こう」と誘ってもらったことがきっかけ。

友人の誘いに乗っかり、幸いにも入塾テストをパスした僕は、晴れてその塾に通えることとなった。
ちなみに今でも覚えているのだけれど、正式に入塾する前のこと。中学生当時の僕に「一度、遊びにおいで」と呼ばれて行って、ホワイトボードに書かれて出された入塾テスト的な問題は「フィボナッチ数列」だった。(他にもあったと思うけれど、印象に残った問題がフィボナッチ数だった)

1、2、3、5、8、13、21、34・・・

と続く数列のことで、「これ、わかる?」と聞かれたことが印象に残っている。
(今思えば当たり前の話だけれど、当時の僕は中学生である)

中学生の塾の入塾問題で数列を出す塾は、そう多くはないと思うのだ。

そして学校のテストなんて余裕だぜ、くらいに思っていた中学生ゆってぃに対して、「これ教えるから、どこまでわかるか確かめたい」と言われて入塾初日に習ったものが「微分」だった。何度もいうけれど、中学生である。僕以外のみんなは積分で平面幾何の面積を求める問題まで解いていた。

平気で「6分の1の公式を使って〜」とか言っている中学生って、今思うと結構珍しいと思うのだ。(後になって僕が教える側に回ってみると、小学生ですら余弦定理を使って平面幾何の問題を解く子どもたちがいる塾なのだから当たり前といえば当たり前なのだろう・・6分の1の公式とか、意味わかる?笑)

僕らが通っていた(一応県内の進学校と呼ばれていた)中高一貫校ですら、微積分を習うのは確か高校2年。普通の公立高校だと確か高3の内容である。

す ご く た の し い !!

そこから僕は、学校で飽き飽きしていた数学の「学問としての楽しさ」に気づき、どんどんのめり込んでいく。知る楽しさ、学ぶ楽しさ。
単に先取りで学ぶことだけではなく、その数学の背景を知って、本質的な学問に近づいていく手触り感が楽しくてしょうがなかった。

中学3年生の後半になると、時々演習問題を塾の仲間と競って解くのだけれど、演習問題に使われる「センター試験」は皆満点が当たり前。点数ではなく「いかに早く解き終わるか」という時間競争をするのだ。
書き間違いではなく中学3年生の時の話で、演習教材は大学入試用のセンター試験の過去問題だ。気づけば当時はそれが当たり前になっていた。

中学3年生というのは部活も引退しており、中高一貫の私立だったので高校入試もない僕らにとって、毎日の遊びの日課は未だ見ぬ数学の世界の探究だった。

友人同士で新しい分野を学びながら、過去の数学者たちが辿った軌跡なんかを辿りつつ、学問の正解の楽しさにのめり込んでいく。学校の授業はほぼ全てが「自習時間」だった。

その頃に僕が心惹かれたのが「フェルマーの最終定理」に代表される、過去の未解決問題の類。(これは解決された問題だけれど)
そこに人生を捧げた世界中の数学者たちの死屍累々の上に僕らは立っているのだという興奮感が、将来はアカデミックの道に進みたいと思わせてくれる強烈な原動力だった。


今思えば、学問の楽しさと奥深さの礎を築きあげたのは、中学時代の塾なのかもしれない。

そして数学のセンスのなさに絶望し、探究の矛先を物理学に向けたのもちょうどその頃だった。

自分よりはるかに頭の良い生徒を教える側に回る楽しさ

さて、僕は中学卒業と同時に、通っていたその塾を卒業した。

余談だけれど、その当時の塾の同期は10名そこらだったと思うが、大学の進学はその中から東大2名、京大、九大2名と旧帝大系(他にあったかな?)、あとはその他ほとんどが医学部医学科に進学して行った。

地元の国立大学の理学部に進学したのは、後にも先にも僕だけである。笑

さて、話は戻って色々あって僕は地元の国立大学の理学部に進学をしたわけだ。
で、その報告をしに久々に塾に遊びに行って、その帰り道僕は塾講師になっていた。

実際に自分自身が教える側に回ってみると、まず、僕自身が塾生だった時代よりもはるかに塾全体のレベルが上がっていることに気づかされる。(僕らの世代はその塾の一期生だった)

まず、小学生の生徒が多くなったこと。
そして、高校1年生(少なかったが高校2年生クラスも一部存在した)のクラスができて、全体としてコマ数が激増したこと。

小学生の生徒たちは、基本的にみな、私立中学受験を前提にしている。
地方だったけれど、灘、開成や女子御三家あたりも合格者がいたし、もうひとランク落ちたラサールとか、海城中学とか、そのあたりをイメージしてもらえると分かり良いだろうか。

とはいえ大半は地元の中学に進学していくので、トップ層はみんな、めちゃくちゃ暇をしているわけだ。笑
中学受験は落ちない程度に遊びながら、中学範囲や高校範囲の学習を楽しんでやっていたし、僕ら先生側も楽しみながら教えていた。

1つ、思い出したエピソードがある。
今でも覚えているのが、僕が担当していたクラスの小学生が、中学受験の模擬試験を受けた帰りに、塾に来ていた。

「先生、ごめん〜」と言われたので「どうした?」と聞くと、「どうしても解けなそうな問題があった」と言われる。
「どの問題?」と見せてもらうとそれは幾何(図形)の問題で、「どうしても解けなかったから、余弦定理を使ったんだけれど、大丈夫だったかな」というのだ。

意味がわかるだろうか。その子が言っていたのは、小学生の解き方を試行錯誤してみたけれど、どうしてもそれでは解けない問題があったので、高校2〜3年生で習う余弦定理という公式を使って解いてしまったけれど、減点されないかな?と言っているのである。

書きながら思い出してきたのだけど、確かに小学生の生徒たちにはみな、当たり前に方程式を使って数学の問題を解かせていた。
小学生の頃に習う「〜〜算」というものがある。例えば「鶴亀算」という言葉を聞いたことがあるかもしれないが、あれは中学生になると連立方程式というものを用いて解く。

個人的にはナンセンスだと思うが、一応、日本の小学校では問題を解く時に「方程式は使わない」ことが良しとされている不思議な風習がある。
なので僕らが塾で生徒に教えるときは「基本的には方程式で解いても良いけれど、一応、ナントカ算も使って解けるようにしておいてね」と言っていた。逆ではない点に注意。方程式の方がスタンダードなのだ。

そういうことを言っていたので、生徒は模擬試験で図形の問題を解く時に、小学生ルールで解こうと頑張ったけれど、解けなかったので裏技を使って解いたので「先生、ごめん〜」と僕に言った、というわけなのだ。もちろん答えは正解なので、何もいうことはないのだけど。

 

そんなこんなで、小学生には中学校の分野を、中学生には高校分野を教え、中学3年生までには大学入試分野をある程度終えている状態を作りつつ、学問の楽しさを一緒に探求するということがその塾のスタンダードになっていた。

僕が塾生時代は、一応、中学3年生までに大学センター試験の完了が1つの目安だったのだけれど、僕が教える側に立ったときは、可能ならば二次試験までもある程度は終えている状態というのが基準になっていた。何度も書くが中学3年生である。

ここでいう大学入試の二次試験の”ある程度”というのは、大学入試において代表的な問題に対してはその意味がわかり、解ける状態にあるということを指す。

大学入試の問題というのは特にパターン化されているので、代表的なパターンを身につければ難しいことは何もない。
その上で例えば「これは面白いかも」という問題をみんなで持ち寄って考える、という遊びもやっていた。

例えば、知っている人は知っている有名な問題で、2003年の東京大学の二次試験出された「円周率が3.05よりも大きいことを証明せよ」という有名な問題がある。
東大の過去問をやったことがある人は、全員通る有名な道なのだが、こういう「ちょっと変わった面白い問題」みたいなものを色々なところから集めて、みんなでワイワイやるのだ。

もちろん、高校数学オリンピックに出場する人たちもいたし(確か結構いい線まで行っていたような・・)、数学以外の勉強なんかと絡めてワイワイしたりもしていた。(当然休み時間はみんなでゲーム大会。DSとかパズドラとか)

 

何が言いたいかというと、僕としては「僕よりも賢い生徒たちに勉強を教える」という経験をさせてもらい、わりといい感じのアルバイト給料をもらいつつ、非常に豊かな経験ができたことが財産になっている。

自分で言うのもなんだけれど、僕自身もわりと勉強は不得意ではなかった。
地方だけれど言っても国立大学の理学部(物理学科)で、サイエンスが専門だったわけだ。

何度か書いているが大学を主席で卒業させてもらったのだけれど、それでも、どう考えても教えている生徒たちの大半は僕より賢かった。
僕よりも彼ら、彼女らの方が勉強もできたし、IQも高いし、地頭も良いし、総合的な学力も僕より上だったと思う。

そんな彼ら、彼女らに対して、僕は少しばかり先に学んでいる領域を、わかりやすく教えているだけだった。むしろ僕の方が色々教わっていたかもしれない。

生徒たちはみな、色々なものを背負っていたと思う。僕ら大学生よりも、そして周りにいる大人たちよりも、よっぽど大人だった。

彼らは僕らと対峙するときは、「生徒という役割」をきちんと演じてくれていた。
そう、演じてくれていたのだと思う。

僕は彼らより少しばかり先に生きていたが故に、その学びを教えるという「先生役」を演じていたし、彼らはみな、僕らから教わるという「生徒役」を演じていた。

嫌らしいことは何もなく、むしろ清々しいまでの関係性だったと思う。

僕は塾講師をして教える側になってようやく、与えられた側(=gifted)の人生の役割というものを理解したのだと、今更になって思うのだ。

社会も皆、それぞれの役割を演じている

いま、僕がこうして社会に出て感じた既視感の1つは、実は塾講師時代の演者にあると思う。

会社という組織は、上司は上司役を演じているし、部下は部下役を演じている。
あくまでも「役割」の中を生きているのであって、水準以上の人たちであればそこに優劣はない。

社会人1年目の僕が、入社早々に気づいた「あれ?偉いと言われている上司の人たちって、実は裸の人間力は圧倒的に格下だな」と思った違和感というか直感は確信に変わったし、会社というのはそういうものだと知れたことは大きかった。(もちろん逆もまた然り)

社会はみな、それぞれが各々の役割を演じているから成り立っている虚構のようなものであり、それもまた人間社会の一興なのである。

塾講師時代の生徒たちを見ていて思ったのは、おそらく彼らは学校の教師たちよりも、周りにいる大人たちよりも、皆圧倒的に賢くて(IQは20以上離れていると思う)、それ故に生きる術が「演じる」だったのだと思う。

IQが20以上離れていると、会話が噛み合わないし、同じ場所で同じ空気を吸うことすら(公立学校に通って机を並べる以外では)あり得ない。それがgiftedと呼ばれる与えられた側の役割なのだ。

もし、あなたが与えられた側なのであれば、この意味がよくわかると思う。
もし、あなたがそうでなくとも、あなたの子どもが与えられた側なのであれば、全力でその意味を理解してあげて欲しい。

そして、できることならば、最大限に環境をサポートしてあげるのだ。

何度もいうが、周りとあまりにも遺伝子格差がある人にとって社会(学校)は、単なる演じる場であると理解してあげて欲しい。そうでないと本質的に会話が成立しないのだから。

周りの大人ができることは、与えられた側の彼ら彼女らに対して、できる限り彼ら彼女らに近い遺伝子を持った同世代の人たちと関われる環境をサポートする努力をすることだと僕は思う。

それだけで子どもは報われる。それだけで与えられたモノは報われる。

飛び級制度がない我が国では、周りの大人の理解こそ、最大限のサポートなのだと知ろう。環境のサポートをし、人生の助走を見守っていれば良い。そこから先は自ら切り開いていくから大丈夫だ。

大丈夫だとは思うが、決して周りの子どもたちと比較をする毒親にだけはなってはならない。
僕が教えていた生徒たちの中でも、中途半端な親に限って「〇〇ちゃんは勉強がもっとできるのに」みたいなコンプレックスを子どもにぶつけていたりした。かけてもいいが、そんなことをされ続けたら子どもは確実に将来グレる。

大きくなって親を殺したりするニュースは、決まってそういう環境で育てられてしまった不幸な子どもたちだ。エリートな親と、それを分不相応に押し付けられた子ども、という関係性は厄介だと思う。

何が言いたいかといえば、間違っても子どもの遺伝子のサイズを見誤ってはならないということだ。大丈夫、背伸びをしないだけで良い。親自身のコンプレックスをぶつけないだけで良い。
親子にとっていちばんの幸せは、子ども自身がのびのびできる場所を見つけ、好きなことに打ち込んでいる人生を送ることなのだから。

 

長くなってしまったけれど、いかがだっただろうか。

多少オブラートに包んでいるが、本音も混ぜたので、痛い人もいるかも知れない。色々言いたいことがある人もいるだろうが、タブーとはいつも痛いモノなので、しょうがない。

3回にわたって書いてきた「与えられている側の子育て論」は一旦終了にして、また別の切り口で書いてみようかとも思う。

読んでくださって、ありがとう。