与えられている側の子育て論(パート2)
5月1日昨日から、ブログが何故か(ワードプレスの問題か)記事が開けずにいました・・!今は直してもらったので、見れるようになったと思います。
見に来てくれた方、ごめんなさい!
(ブログ直してくれてありがとうございます)
パート1はこちら。
ギフテッドを探そう
ちょっと余談だけれど「授かった側」とかタイトルにある「与えられた側」と言うのは、英語では「gifted(ギフテッド)」という表現をする。
文字通り「giftされた側」という意味で、ギフトは「天からの贈り物」ということだ。
例えば・・・数学的な才能に恵まれている、とか。
今この文章を書きながら思い出したのだけど、天才数学少女の映画を見たことがあった。
「gifted/ギフテッド」という映画はその名の通り。
Amazonプライムビデオで見れるのでどうぞ。
この映画の話を少しだけすると、著名な数学者の母親の元で生まれ、数学の才能を授かった少女と、その少女を育てる伯父の愛の物語。
「普通の学校に通わせたい」という母親の願いをもとに、叔父は少女を普通の小学校に通わせるのだが、もちろん天才すぎて教師からは別の学校への転向を勧められる。(そりゃあ、そうだ)
ある時、少女の祖母が少女の頭脳の噂を聞きつけ「私のもとで育てたい」と言って現れる。祖母が親権を奪う裁判沙汰となり・・
映画の最後に、少女が叔父に向かって「あなたは私の全てを愛してくれた」という台詞があるのだが、その言葉に心を動かされる感動の映画。
良かったらどうぞ。
映画の話はさておき、ここで大事なのは「あなたのgiftedはなんですか?」という話。
giftedという言葉は、千田琢哉さんの以前の著書の中で初めて出会った言葉だけど、それが10年くらい前の話だろうか。
僕が散々とこのブログで「人生は勝負すべき土俵を見つけたもの勝ち」ということを常々書いているけれどまさしくそうで、別に点に恵まれた特別な才能がどうこうということではなくて、自分自身にとって、あなた自身にとってのgiftedはなんですか?ということだと思う。
好きなこと。没頭できること。夢中になれること。
それを仕事とか生き方に結びつけるのであれば、それらが繋がる場所を探したら良いし、その場所がなければ作れば良いのだ。
好きなこと、得意だったこと、自分では当たり前だと思っていたけれど無意識的に周りに評価されたこと。
それらを思い出して今のうちに溜めておこう。そしてどこかで、その”好きの要素”たちを掛け算してみよう。
「100分の1」のプチ得意を3つ掛け算すると「100万分の1」になる。
100万分の1の「得意」までたどり着けば、其れはあなたの武器になる。
理由なく確信が持てたものがあるならば、それがあなたのgifted。
受験勉強は生涯賃金で換算せよ
さて、勉強コースに向いている授かった側の子育ての話の続き。
小学校高学年にもなると、勉強コースに向いている子どもにとっては既にその時点で学校の教師よりも勉強ができるようになっている、ということを書いた。
僕が10代の頃に大変参考になったのが「受験の神様」と呼ばれた和田秀樹先生の本なのだけれど、このブログでも何度か和田秀樹さんの本については触れていたと思う。
人生において最も良い投資は、中学校受験である。
これは僕が実体験を持って感じていることであり、大学時代の塾講師のアルバイト経験で当時大学生の僕よりも賢い小学生・中学生たちを見ていて確信に変わったことでもあり、ダメ押しで僕が社会に出た後に社会の中の大人たちを見ていて再確認したことである。
全人類(親)の共通の願望は、我が子をエリートコースで育てたいという願いであり、できることならば良い大学に進学して欲しいと思っていると書いた。
(もちろん例外はあるが)その前提で話をするならば、大学受験で勝ち組に回って欲しいと思うのであれば、親として最もコスパが良いのが「中高一貫の私立中学受験」であることに疑いの余地はない。
もちろん、条件はいくつかある。
・親が(水準以上の)教育投資ができるだけの経済力がある
・子どもが勉強コースに向いている
・勉強コースに向いている条件とは、(地元の公立小学校ならば)小学校時代のテストは基本的に全教科当たり前に満点
・その上で子ども自身が勉強をゲームとして楽しめる余裕がある
というような前提条件を満たしているのであれば、是非、水準以上の私立中学受験に挑戦してみると良いと思う。
ぶっちゃけ、水準以上の中高一貫校に受かったら、人生における受験勉強は終了である。
書き間違いではないので強調するが、水準以上の中学校に合格した時点で、大学受験勉強のゴールも既に見えているので、放っておいても(本人がその気さえあれば)難関大学の合格は保証されているから大丈夫だ。
中高合わせて6年間のうち、4年半くらいは青春時代で好きなことに没頭できるし、その時期に多少ぶらぶらしていても高2くらいからやる気を出せば、大学受験くらい余裕でパスできる。
何故ならば、たとえ難関大学の受験といえど、水準以上の中学校受験よりは確実に易しいからだ。
水準以上の中学受験をパスした人にとって、大学受験は「やれば誰でもできる」ものなのだ。地頭(要は遺伝子)が求められるのは、圧倒的に難関中学受験の方だ。
人によっては「まさか・・」という人も多いかもしれないが、そんなことはちゃんと受験勉強を経験したことがある人なら誰もが知っている当たり前の事実だ。ただ、そんなことはわざわざ誰も口に出して言わないだけ。
こういう「人によっては当たり前」だけれど、当たり前すぎて社会では誰も口にしない事実は、誰かがちゃんと言ったほうが社会のためになると思っているので、こうして僕が書いている。笑
そして10代の頃、たった数千時間を受験勉強に費やすだけで、難関大学入学の資格を手にすることができる。これは美味しい。
「受験勉強は、生涯賃金に換算せよ」というのは先の和田秀樹先生の言葉であるが、その特さを10代の頃に考えられるかどうか、なのだと思う。大半の人はそんなことを考えたことすらないし、人生の後の方になって気づく。
だからこそ、あなたがもし、教育論を体現できる立場の方であれば、是非、上で書いたようなことを実践してみると、人生割と美味しいですよ、という話。
嫌味じゃないよ。
統計的に難関大学卒業の資格を手にしていた方が生涯賃金が数億円変わってくるというのは事実なのだ。僕の主観ではなく事実のみを書いている。(気になる人は調べてみてね)
僕が前に書いた関連しそうな記事はこちら。
「学歴は関係ない」の嘘。これからますます「学歴」の社会になりますね、という話
長くなってしまったので、今回はここまで。もうちょっと続きを書きます!