僕は20代で人生のコンプレックスを手放した

日々徒然, 就活生向け

関西は神戸出身の学生を紹介され話をしていて、改めて僕自身の人生を思い返すきっかけをもらいました。

その人は、いわゆる兵庫県の進学校出身で、大手企業に勤める父親と専業主婦の母親とのんびり屋さんの妹という、典型的な日本的な家庭として育った人。
「自分の好きなように生きたらいいよ」と応援してくれる父親と、保守的な母親との間で勉強と部活を頑張って、地元では進学校と呼ばれる学校に進学をしました。

そこではもちろん自分よりも勉強や部活ができる人たちがいて、劣等感を抱えながら、自分のアイデンティティを模索する日々。
神戸という街柄でしょうか。世の中のことを少し見下ろしてみている上流家庭の人たちも多く、学校の友人たちはみな、そのような家庭環境の中でいるわけで、気づけば自分も「人並み以上の生活」を手に入れることが人生の幸せなんだという、ある種の洗脳のような環境で育ってきたのです。

その人自身は「関西の国立大学に行くのが当たり前」「浪人をするのはダサいよね」という周りのスタンダードの中で自ら道を切り開こうともがきながらも、みたくない現実を見ないまま大学生活を過ごし、そして就職活動という人生のイベントに直面した今のタイミング(4年生に上がった4月)で、もう一度人生に向き合うことを決めたのです。

それまでの家庭環境と、そこから形成された大きな価値観がある。

有名で、ブランドがあり、誰もが知っている上場企業に入りたい。
その人にとって就職活動とは、自分自身の生き様を見つめるきっかけではなく、当初は「一発逆転を目指せる人生のイベント」だったわけです。

地方で生まれ育ったことへのコンプレックス

ここからは僕自身の話なのですが、僕は何度もこのブログに書いているように、地元では「勉強ができる神童」として小学生時代を過ごすくらい、お勉強が得意な学生でした。

当然、地元で有名な中高一貫校の私立に入学をするわけですが、上で書いた就活生と同様に、自分のアイデンティティを模索するわけですが、この辺りの話は何度もブログに書いていること。

その県から出たことがない両親のもとで、地方で生まれて育った僕は、物心ついた時から「僕は他の人とは違う」という自覚を強烈に意識していました。親を含め周りの大人たちは、どうしてこうもショボいのか・・と。

当時から両親には感謝をしていましたが、自分の人生を生きる上での参考にしてはいけないということは、中学に入ることには明確に意識していて、言葉はあれですが「反面教師として」参考にしようとすら思っていたくらいです。学校の教師も含め、周りの大人たちに向けてそんな感情を抱えていたわけです。

今となっては、しょうもないなと思えることなのですが、当時の僕にとっては「物理的に地方で暮らしている」ということに対しての、半端じゃないコンプレックスを抱えていました。フラストレーションで頭がおかしくなるほどの”くすぶり”です。

本当は物理的な環境ではなく、自分自身の「人生のステージ」を変えたかったということなのだと思いますが、その手段として明確に紐づいていたことが「田舎を捨てる」ということでした。

10代の少年ゆってぃは、いかに地元を、故郷を捨て、次の場所へ行くのか。ということで頭がいっぱいでした。

福山雅治さんが長崎の故郷のことをそう言っていたことを聞いたときに、ああ、これだ!と思いました。
福山雅治さんですら、故郷のことを恨めがましく思っており、東京に出て成功をするんだという夢だけを持って生きてきた10代、20代だったのです。

社会で生きていく中で、しがらみを手放すことに3年かかった

これもまた何度か書いている話なのですが、僕の中高のクラスメイトたちは、平均的に早稲田・慶應クラスの大学へ進学しています。旧帝大へ進学する人たちも当然多かったのですが、そういうった人たちの家庭環境や思考の水準というのは、わかる人にはイメージをしてもらえると思います。

「私たちは、この水準で生きている」ということを意識的にも、無意識的にも思っており、「有名大学を出て、誰もが知っている大企業に勤めている」とか「人並み以上の人生を送る」ということが、人生のアイデンティティになっている人たちの感じです。

もしかすると東京や大阪のような街で育った人の中には分からない人もいるかもしれませんが、地方に行けば行くほど、そういうコンプレックスを抱えて擦れている人たちというのもまた、多くいるのです。

そして僕自身もまた、そんな「誰もが認める王道であり」「人並み以上の生き方」を選べる側として生きていきたいと、強く強く思って過ごしていました。

 

冒頭で書いた就活生に向けて話たことなのですが、僕が自分自身の中で、そう言ったしがらみや、人生のコンプレックスはいま、全く持っていません。
10年前の僕からすると信じられないくらい、身軽に生きているなと思うのですが、実はそれらを手放すことができたのは、ここ大阪に来てからのことなのです。

大学時代を経て今の会社へ就職し、大阪で一人暮らしを始めました。
親から自立をし、精神的にも経済的にも一人で歩くことができるようになり、ようやく「大人の第一歩」を歩み始めたのがちょうど3年前。

その喜びを噛みしめながら、社会の荒波に飲み込まれて行ったのもまた事実。

自分で舵をきれない船を漕ぎながら、「世の中バカばっかじゃん」「僕が思っていることの方が絶対正しい」ということを、不遜にも、1ミリも疑うことをせず、学ぶ態度は一貫して持ち続けているんだけれども、社会で生きる術を手に入れることに必死な2年間だったと思うのです。

3年目に入ったのが2019年、去年のことですが、その頃になってようやく、今までの僕が思っていたこと、正しいと考えていたことが、実際に正しかったと証明できてきたのが大きかった。それでも3年かかったのです。

「やっぱり僕が考えていたこと、確信を持っていたことは、間違っていなかったんだ」と根拠のある確信を得られたのが、社会人3年目。
それまでは、証明することはできなかったけれど、自分の中では「これがいける」という無条件の仮説があって、それを積み上げるのに必死だった感覚なのです。

2年目から3年目にかけて、僕自身の生き様がひとつ、またひとつと、間違っていなかったという手応えを積み重ねることができた。

精神的、経済的に自立をして、2年以上かかって、ようやく僕は、自分の人生の中で長年抱えていた”くすぶり”を手放すことができたのです。

圧倒的に「個人で生きる」ことへの目的思考があった

3年かかったとはいえ、今人生のしがらみを抱えている人にとっては、20代で楽になれた僕のことを「早い!」と思うかもしれません。
(実際に冒頭書いたその人と話をしているときに、そう言われた)

「頭では分かっているけれど、怖いんです」と。

すごくわかる。僕だってそうだったから。
そして、こうも言われました。

「ゆってぃさんみたいに、個人で生きる覚悟は持てない」と。

毎週毎週、新しい学生とも話をすることを続けて3年間。
そして本業ではもちろん、キャリアの出口にいるような人たちとも、散々と対話を繰り返してきたわけですが、多くの人にとって人生は「自分の人生を確証してくれる看板」がないと、生きていけません。

いい大学。いい会社。いい街に住む。いい家を買う。
人並み以上の給料をもらう。人並み以上のいい生活をする。

それらはすべて「看板」なのです。自分自身の価値とは全く異なる観点なのですが、なぜか多くの人にとってそれらは「自分の価値を確かめる材料」になっている。

それがないと、不安で不安でしょうがないのです。何者でもない自分に向き合うのが辛いので、安心できる材料をひたすら追い求める人生を選択します。

僕は20代で「何者かであることを証明してくれる何か」を追い求め続ける人生を手放すことができました。
それは、10代の原体験も然り、20代で心の底から信頼できる人と出会えたことも然りで、自分の人生を無条件に信頼できるようになったことが大きかったです。

 

会社を選ぶ時も、仕事の仕方も、個人でいかに生きるポジションを確立するかという試行錯誤をする時も、僕自身が「土俵選びが全て」だという意識が強くありました。

でもそれは、物心ついた頃から強烈に「個人で生きる」ということへの執着があったからできたことだとも思っていて。

上にも書きましたが、「なんでこんなショボい大人にあれこれ言われないといけないんだ」と、小学生の頃から思っていました。笑

そして巡り巡って、いま、この場所に立つことができています。
こういう生き方を選んだ僕自身を、誇りに思っています。

言い過ぎかな?笑

とまあ、長々と書いてきましたが、冒頭の就活生の人に伝えたことも含めて、いま、生き方に迷っている若者たちに何かヒントになると嬉しいなという思いで、僕は言葉を綴っています。

「今の快楽(承認欲求を含め)を取るのか」
「10年後の自分が納得するという観点で人生を考えるのか」
という視点は常に、持っていて欲しいなと僕は思っています。

幸せになろうな。

いつも読んでくださって、ありがとう。