【祝】気づけばブログ1000記事突破!

書くということ

おっと、なんだかんだとバタバタしていた2月後半に、このブログで書いた記事数が1,000を超えていました!

1,000記事突破記念をちゃんと描こうと思っていたのですが、気づけばこの投稿が1,009記事目。笑(結構前に1,000記事を超えていたw)

ということで、社会人になった1年目に、大学時代から書き溜めていた「はてなブログ」から記事をこのワードプレスに移行し、「一生書く自分だけの場所にしよう」と思って書き綴っていた僕の思いが、1つの節目である1,000を跨いだ記念として思うことを書こうと思います。

「ブログを書きたい」とか「アウトプットの場が欲しい」と思っている人には是非、読んでみてもらえると嬉しいです。

僕が「はてブ」からこのワードプレスに移行した時の記事。もうすぐ2年になるんですね!

書くことを通して自分自身を見つめることができる

書くということは、自分自身と向き合うということです。

ブログでも日記でもなんでも良いのですが、孤独でなければ書くことはできません。
誰かとお喋りをしながらブログや日記を綴るということはできないのです。

もし、できるのであれば、それはただの「記録」です。

ブログや日記というのは、その日あった出来事から自分自身が考えたことや、気づいたことを綴ることで自分自身を見つめる作業であり、その時間は自分自身を深めることになるのだと思うのです。

出来事を記録するのも良いのですが、できればもう一歩、その出来事から自分自身が感じたことや考えたことを綴っておくと良いでしょう。

毎日の変化に敏感になる感性が磨かれる

ブログを書き綴っていると、毎日の変化を敏感に感じられるようになります。

それは少しの変化に気付ける、自分自身の感性が磨かれたから。
書くという行為を通して、感性を磨くことができるのです。

なぜかというと、一度「書く」という習慣を手に入れた人は、「書き手」としての視点で世の中を眺めるようになるし、書き手の立場で人生を生きられるようになるからです。

その立場の違いは、傍観者であるか、主人公であるかの違いくらい大きなものだと僕は思っていて、今の僕自身があるのは「書き続ける」という行為を通して世の中を見てきたからだと思うのです。

1日1つの気づきを積み重ねると、1年でとんでもないところへいける

厚さ0.1ミリメートルの紙を2つに折り重ねると、厚さが0.2ミリメートルになります。

それをまた2つに折り重ねると、次は厚さ0.4ミリメートル。

それを繰り返していくと、10回折り重ねるだけで「約1,000倍」になり、厚さが約10センチメートルになります。厚さ10センチです。

これを繰り返していくと、実は20回折り重ねると厚さが東京タワーほどになり、40回折り重ねたら地球から月に届くほどの厚さになってしまう。(実際は10回を超えて折り重ねられる紙が存在しないが)

という例え話が1つあります。

僕が思うに、人間が生きる上でも良い考え方だなあと思っていて、どんなに小さくてもいいから1つの変化、1つの気づきを得る。
1日1つでもいいから、それを積み重ねていくと、例えば1年で365回の積み重ねができるわけです。

その結果として、1年後に振り返ってみると、自分がとんでもないところにきたことが分かります。

大きなことを頑張る必要はないので、1日1つでも、気づきを積み重ねる。
その習慣として、「書く」という場があることが大きいんじゃないかなと思うのです。

アウトプットの習慣がインプットの質につながる

ビジネスパーソンの人たちこそ、書くという習慣があると強いなと思うのですが、日々の中で感じたこと考えたことをアウトプットする習慣を身につけたら最強です。

「自分は仕事でアウトプットしている」という人もいると思いますが、じゃあ、そのアウトプットは1年前と比べて、何か大きな変化をしているのでしょうか?

あるいは、1ヶ月前と比べるとどうか?これから半年後に、アウトプットの質がよくなっているのでしょうか?

ご存知の通りアウトプットは、インプットの質とそれらの思考の掛け算によってできるのですが、肝心な「アウトプットの場」がないと、インプットの質も高まらないというのが面白いところ。

インプットだけし続けるということは人間のバランス的に難しく、適切に出さなければ入ってこないし、出す習慣がなければ良質なインプットも難しいというわけです。

書いて発信をするということは、体系立てて物事を思考し整理をし、それらを分かりやすく表現するということです。

物事を体系立てて理解し、それをアウトプットする仕事自体はかなり限られていると僕は思っているので、ビジネスパーソンとして成長を思うのであれば、書く習慣を身につけてみるのはいかがでしょうか。

くすぶりをぶつける場所があればどこへ行っても生きていける

とまあ、なんだかんだと色々勝手なことを書くわけですが、本音でいうと、そんな難しいことを考えて書き始めたわけではありません。笑

僕自身が10代の頃からブログを書き続けられた一番大きな要因というのは、くすぶりの行き場がなかったから。

くすぶりの感情、思考の鬱憤、行き場のない葛藤。

それらをぶつける先として「書く」という行為しかなかったから、それ以外にできなかったから、僕はただ、ひたすらに自分の内側のヘドロのようなものを1つ1つ取り出して、それを洗ってきれいにして、置いていくという作業をしていたんだと思います。

社会に出ると、そんなことも言ってられなくなるくらいに消耗する人たちも多いと思う。
幸いにも僕自身が正気を保つことができて生きてこられたのは、ここに「自分だけの場所」があったからだと本気で思っています。

今なら思う。自分自身の葛藤を、くすぶりをぶつける場所があるのであれば、あなたはどこへ行ってもやっていける。
もしそれでも壊れそうな時は、その場所から離れてみたらいい。手放してみたらいい。

そして戻ってこれる場所が、例えば1つこういうメディアという場所なのであれば、怖いものなんでないじゃないか。

僕が目指しているのは、そういう場所なのかもしれません。

いつも読んでくださっているあなた、本当に、ありがとう。
これからも、よろしく。