面白い文章とそうでない文章の差は書き手の教養である

2018年9月4日書くということ

僕が日々接するビジネスパーソンの中には2通りの方がいます。
「この人は面白いなあ」と思える人と、そうでない人(何も思わない人)です。

僕はこうして文章を書くことが好きで、物を書いて生きていきたいと思っているので、その人たちが仮に物の書き手になったことを考えます。

「この人は面白いなあ」と思える人は、文章の書き手になったとしてもやっぱり面白い文章を書くわけです。

例えば、僕の職場にいるトップコンサルタントの先輩方というのは、社内の週報のメールであったとしても読みやすいですし、何よりも面白い。

クライアントと話をするときも的確に言葉が出てくるわけで、それは物書きになったとしても面白いだろうなと思うわけです。

「例え話」には教養が出る

物の書き手としても、ビジネスの商談においても、この人の話は面白いなあと思える人の共通点は「例え話」にあります。

ぶっちゃけ「例え話」で差がつくと言っても過言ではありません。

世の中のセールスパーソンが語ることや、コンサルタントが話す内容なんていうのは、ほとんどが世に公表されているものばかりです。

文章に関してもそうで、よっぽど真新しいものでない限り、その記事が主張している内容なんていうのは、以前どこかの誰かが書いています。

だからこそ例え話が重要だということです。

僕らが文章を読むときに何を読んでいるのかというと、その人「ならでは」の体験と例え話です。

それらは書き手の教養で差がつくわけです。

教養のある人が書く文章の何が面白いかといえば、例え話の連鎖です。

私はこう思う。
何故ならば、自身がこういう体験をしたからだ。
例えば、こういうことが考えられる。
例えば、ああいうことも考えられる。
例えば、こうであるとも思う。

例えばの連鎖で文章は繋がっていくわけです。

ビジネス書ばかり読んでいる人の文章はつまらない

話は戻って、僕は物を書くことで生きていきたいわけですが、今まで読み漁って来たビジネス書は、すごく面白い。

ビジネス書というのは実はビジネス以外の内容で面白さが決まるということ。

逆にいうと、ビジネス書ばかり読んでいる人の書く文章というのは、どこかつまらないということです。

小説。趣味の本。雑誌。マガジン。教養本。

ありとあらゆる活字に触れていくことで、その人の書く文章は奥行きを増していくのだと僕は思っています。

たくさんの物語に触れよう。