文章を書くということ。 〜文章を書いていない時間に成長する〜

2019年1月6日書くということ

こうして自分が書いているものを、読んでくる人がいるということは、すごく幸運なことです。

たとえ5分でも、5分で流し読みされたとしても、その人の1日の中から5分、自分の書いたものを読むことに時間を使ってくれたこと自体がすごく有り難いことで、それこそ、その書き手と読み手の出会いというのは奇跡なんです。

特に、自分の書いたものを、自分の目の前で読んでもらうことはすごく幸運なことの一方で、あれほど書きたくて書いたもの、書いている間にどんどんとのってきたものでも、目の前で読んでもらうと、どんどん自信がなくなってきてしまいます。

自分の好きな人に手紙を書いて、すごく読んでほしいんだけれども、自分の目の前で直接読もうとしていてそれがすごく恥ずかしくなってしまうような、そんな感覚です。

好きな人に手紙を書いたことがある人はわかります。

すごく読んでほしいけれど、目の前では読んでほしくないという、なんとも言えない気持ちです。

自分の書いた文章をせっかく読んでもらっているのに、読んでいる途中で、「やっぱいいや」と取り返したくなるような葛藤です。

読んでいる人が発する「んー」という言葉とか、読んでいる人をじーっと見つめている時間とか、そういったひとつひとつのしぐさに、すごく心がざわついてきて。

そういった時間を過ごすこと自体が、ものすごい勉強の時間です。

文章の書き手というのは、文章を書いていない時間に成長する

ブログや文章を書いている人はわかると思いますが、文章を書くということに関して、書く人が一番成長するのは、実は文章を書いていない時間です。

もちろん、文章を書いている時間も成長しますが、どちらかというと自分の頭と心に残っているものを表現している時間であって、なかなか気づきにくいことですが、実は書いていない時間の方が、大きく成長している。

例えば国語において、文章の読解力を向上させようと思ったら、リアルな体験、アナログな体験をたくさん積んでいくことしか王道はない。

問題集を解くというのはテクニック的なものであって、読解力が向上するわけではない。いかにリアルな体験を積んで、その中で多くを感じ、いろんなことを考えるか。そういったことの繰り返しで、本物の読解力というのは培われていきます。

その文章を読んで、本当の意味で理解できるかというのは、常日頃の日常の中でその人が何を考えて、何を感じて生きているか。その体験と、読んだ文章とを繋げていくことなんだと僕は思っています。

これが取材の記事を書くでもそう。

誰に対して読んでもらうのかとうターゲット設定を考えたり、読み手の心情を考えたり、そんな読み手に届けるためにはどんな内容を書いた方が良いのかとか、取材の相手の最も良いポイントはどこだろうとか、そうやって考えている時間に書き手というのは最も成長するんですね。

そうして考えたことを、今度はひとつひとつ言葉にしていく。

ああでもない、こうでもない、と何度も書き直してみたり、なんか違うなと前提を再考してみたり、そういったことの繰り返しです。

僕がこうしてブログを綴っていることもそう。

書いている時間は、書きたいことがどんどん溢れてきて、その書きたいことというのは日々の中で感じたこと、考えたことがほとんどなんです。

逆に日々の生活の中で、それが大学生活でもそう、本を読んでいるときも人と話をしているときも、あるいは今インターンシップで仕事をしている中でもそう。その体験の中で気づきがあったり、成長した瞬間を実感できたりしたときに、猛烈に書きたいという願望が溢れてきます。

「作家として生きると、自分の人生の主人公として生きることができる」

という言葉がありますが、それはきっと本当だと思います。

それを僕は10年ちょっと先の未来に、自分自身で確かめてみたい。

生活すべてが書きたいことで溢れてきて、自分自身が小説の主人公になって、その1ページ1ページを綴るように生きていく。という未来は、すごくワクワクするものです。

楽しみ。

いつも、ありがとう。

<追伸>
いま、以前に書いたこのブログを読み返して、なんだかすごく懐かしい気持ちになりました。

僕がこのブログを書いたのは今年の夏頃だと思うのですが、僕はこのたった数ヶ月という時間の日々の中で、すごくたくさんのことを考えてきたなぁと改めて思いました。

特に僕にとってのこの数ヶ月は、ものすごく濃密な時間。1日で感じ方が変わったり、というのはわりとよくあることで。

昨日のよる、暖かいお風呂に浸かりながら今の自分自身の気持ちを丁寧に確かめることをしていて、ああ、ちょっと前の僕自身の心と今とでは、違う感じ方をしているな、それを今感じられるようになったことは良いことだなぁと思いつつ。

いま、僕自身がどんな気持ちで過ごしていて、というようなことは、改めてブログに綴っておくことができたらいいですね。