どこまでも読み手にわかり易く書くということ

書くということ

昨日、僕が昔からお世話になっている会社と場所があって、

「就活生と、若手社会人向けのイベントあるから、遊びにおいでー」

と誘われて、行ってきた。内容も何もわからないまま行ってきたけれど、色々思うこと(良いこと)があったので、書いてみようと思う。

参加者は、

学生(就活生) :社会人 = 8:2

くらいの割合で、ほとんど大学生だった。笑

内容としては、一代で上場企業を築き上げた社長、しかもまだ40歳くらいと若い人の講演会ということで。

その社長さんの生い立ちと、学生時代に何をやっていて、みたいなことを中心に話を聞いた。

 

なんだか、とっても久しぶりに就活生向けのイベントに参加するなーと思いながら、完全プライベートなのでノリノリで参加していたんだけれど、途中で「はっ!これだ!」と思ったことがある。

それは、とーってもとってもわかり易く、平易かつ分かりやすい言葉で、たくさんあるであろう思考や経験のその上澄みを話すことが、多くの人の共感を得るのだということ。

僕自身の話で恐縮だけれど、学生向けのイベントには何百回と企画、運営、参加してきた学生時代があって、その時は多少なりとも意識していたと思うけれど、いつの間にか薄れていたなあと。

前提、悪気で言っているわけではなくて、やっぱり世の中には普通の人の方が多いわけです。

普通というのは、「1を聞いて10を知る」人たちばかりではなくて、「1を10倍詳しく説明をする」必要があったりだとか、「1を10回説明し、次に2を10回説明し、、」という風に積み重ねていく必要があることは、世の中には往往にしてあるわけで。

何故ならば、僕も含めほとんどの人たちは、ほとんどの領域において素人ですし、また、1を聞いて10を知るほどに頭がキレる人たちではない。笑

であるならば、どこまでも丁寧に言葉にし、分かり易く伝えることが大切なんだと、学生向けのイベントに出て語る社長の姿を見て思ったわけです。

 

書くことも同じ。どこまでも読み手に親切に書く

これはこうして僕がブログを書いたりする上でも同じだなあと思うわけで、大切な時間を使って僕のブログを読んでくれる人がいるならば、何か1つでも多くの「ほっこり」とか「気づき」を共有したいと思うし、
そしてどこまでも分かり易く、読み手に親切にあるべきなのです。それが書き手の思いやりだと思うのです。

理想とするのは、どこまでも分かり易くて、でも響く言葉と文章。

そして、勢いがあって、読みながら元気になってくるような文章。

僕はそういうものを書いてありたいと思うのです。

 

今日も、僕のブログを読んでくださって、ありがとう。