【映画】人魚の眠る家(西島秀俊、篠原涼子 主演)

趣味

毎週末、Amazonプライムビデオで映画を見るのが習慣なのですが、寝正月を過ごしている僕は1人で映画三昧。
こうやって物語に触れる休日の過ごし方って、たくさんの人生を味わっているようでいいよね。

篠原涼子さん演じる主人公の母親と、夫婦役の西島秀俊さんがものすごくリアルな家庭の実態を醸し出している。

二人の子を持つ播磨薫子(はりま・かおるこ/篠原涼子)とIT機器メーカーを経営する夫・和昌(かずまさ/西島秀俊)。娘の小学校受験が終わったら、離婚すると約束した夫婦のもとに、突然の悲報が届く。娘の瑞穂(みずほ)がプールで溺れ、意識不明になったというのだ。回復の見込みがないわが子を生かし続けるか、死を受け入れるか。究極の選択を迫られた夫婦は、和昌の会社の最先端技術を駆使して前例のない延命治療を開始する。治療の結果、娘はただ眠っているかのように美しい姿を取り戻していくが、その姿は薫子の狂気を呼び覚まし、次第に薫子の行動はエスカレートしていく。それは果たして愛なのか、それともただの欲望なのか。過酷な運命を背負うことになった彼らの先には、衝撃の結末が待ち受けていた–。

Amazonプライムビデオはこちら。人魚の眠る家

人魚の眠る家

 

むかし、クローン技術や遺伝子技術が発達した先の「倫理観」の問題について、世界的に議論になった。

日本は優れた技術の国だけれど、こういう議論って日本人はめっぽう弱いと思う。哲学について考える社会環境にないからだ。

実際医療の最先端領域について、技術的にも日本は先進国の中では進んでいるとは言い難いしね。

正解のない問題を考えるのがものすごく苦手な日本国は、これからの10年で、世界の各国の後塵を拝するようになる。
医療だけじゃないよ。いろんな社会課題に対して、周りを見て、答えを探してからじゃないと動けない日本人は、誰かが証明したことに対してようやく一斉に右ならえをするのだけれど、それじゃあ遅いんだって。

 

この映画は「脳死」状態の娘に対して、脊髄に信号を送り身体を動かすことで、生きているとして扱っていく医療の最先端の技術の是非について問いかける物語。

足も手も、しまいには顔の表情筋も動かすことができて、あたかも笑っているように電気刺激を送るのだけれど、それを繰り返しているうちに体の筋肉は発達し、成長していく。

でもずっと眠ったまま。「脳死状態」というのは今の医学的には立証を持って死亡とするのだけれど、延命措置を繰り返す選択もすることができるので、両親の気持ちとしては分かるのだ。

2020年代は「健康」の再定義、2030年代は「生死」の再定義が行われるようになる

いま、グローバルな世の中で起こっているトレンドとして資料を作ったことがある。

これは僕が作った資料なので、どこにもないよ。

あらゆる業界の再定義だとか、いろんな社会変化が行われている今だけれど、その根本的原因にあるのは「テクノロジー」「人口構成の変化」そして「グローバル化」の3つが原因にある。

その原因が引き起こす様々なディスラプション(=破壊的なイノベーションということ!)を『メガトレンド』としていくつか列挙している。

その中の1つに「健康(人生)の再定義」というものがある。

ライフ・シフトを機に「人生100年時代」としてこれからの健康寿命だとか、いきいきと生きるとはどういうことか?ということを社会全体が考えるようになった。

これからその大テーマに対していろんな医療技術だとか、法律だとか、実際に身の回りで使えるヘルスケア用のアプリやデバイスや家電やらが一気に普及しまくるはず。

それが2020年代に一気に社会変革を引き起こしていくのは目に見えていること。

 

一方で、さらにその先に起こることは、そもそも「生きる」とは?「死ぬ」とは?という、倫理的な領域に加え、技術的な領域でも議論になる時が必ずくる。

ここ数年また「尊厳死」といういわば「自分らしく死ぬ権利」という議論が世界では起こっているのだけれど。(知ってる?)

高齢者が劇的に増えるこれから先の10年の中で、生きるとは何か?死ぬ権利は個人の人権なのか?どのように「自分らしく人生を終えるのか」というテーマは必ず社会課題の大きな要因になる。

「自分らしく最後を迎える支援をします」というサービスもこれから必ず増える。
今の介護業界は、構造的に無理。技術か何かの変化によって構造が変わって初めてそこの議論が社会に普及する。

 

 

人魚の眠る家。さすが東野圭吾と言わんばかりの世界観。すごいなあ。

難しいことを考えなくとも観れる映画なので、興味のある方は是非!笑

小説もどうぞ。