忘年会part3

社会人3年目(大阪)

大人3人組の忘年会に参加してきました。(全員30代!だけれど可愛がってもらっておりまして)

僕の先輩(このブログで頻出、今年独立した方)と、その友人であるビジネスパーソン(台湾の方!)と、弁護士の方と。
(書くのが難しくて、肩書ばっかり書いてごめんなさい。。悪気はないです)

男4人で焼肉食べ放題という。笑
円形の七輪の上で焼いて食べるやつ。今時少し珍しい・・?

みんなで焼肉を食べながら、それぞれのビジネスにおける考え方の主張をぶつけ合う。
喧々諤々(けんけんがくがく)とはまさにこのことで、実は適切に自己主張をしあえる仲というのは、意外と社内の人とは限らないわけです。

むしろ社内ではない人たちで、仲間であり語り合えいざとなった一緒に仕事ができるという信頼できる方々がいるということが、僕にとって大阪で3年弱やってきたよかったなあと思わされる財産なのですね。

自分が誰を応援したいのか?

僕が今月(12月)に27歳になった時のことを綴ったブログの中で、「応援者を増やすことを考えようよ」という内容を書きました。

ようは、あなたがこれから先、自分の名前で何かをしようと思うのであれば、いかに多くの人に応援してもらえるかが重要になってくるわけです。

でも、「いかに応援されるか」を考えるということは、近道に見えて一番の遠回りだというのが人生の面白いところ。

そうではなくて、自分が誰か応援してもらうことではなく、自分が誰応援するかを考えて、先義後利を徹底すると、それらが人生の複利となってあとから何倍も返ってくるのです。

何が言いたいのかというと、もちろんビジネスにおいて自分自身の「価値」が何なのかを考え、それに見合った対価を得るというのは、至極真っ当なことなのですし、真理だと思う。

でも、ビジネス云々の以前に、1人の人間として何かをしたいとか、誰かを応援したいとか、そういう想いの方が遥かに価値を持つことだって大いにあるし、そもそも「価値」という言葉を使わずとも、それだけで尊いものだと思うのです。

知らないよりは、いろんな選択肢を知った上で、自分の心が選ぶ方を選択すれば良いのではないだろうか、と。

自分の信じる方を選び、たとえ「あ、間違っていたかも」と思ったとしても、自分の人生の中で、自分自身がそう選択したのだから、何も後悔はないじゃ無いか。

「あ、間違っていたかも」と素直に思え、いつでも引き返せるという覚悟こそ、その人らしさですし、価値観として尊い。一度しかない人生じゃあないか。

 

その後、2件目で健全なバーに行って語らい合いをして、解散。

年齢も職業も超えて、未来を語らえる友人がいる僕自身を、あの頃の僕が見たらさぞかし羨ましいだろうな。

そう思える今の自分が誇らしい。

ありがとう。これからも、よろしく。