日本の会社員は日々の業務に忙しすぎ。情報から断絶されている

2019年9月20日働き方・キャリア

大企業の人たちを見ていて思うことは、本当に彼らは忙しい。

日本企業のサラリーマンは、郊外から満員電車に乗って通勤をして、夏場でもスーツを着てというようなイメージがあると思うけれど、外観のイメージだけではなくて中身も実際「スーパーサラリーマン」というのが実態だ。

僕は仕事柄、年齢の離れた大企業の課長、部長、役員の人たちと仕事をすることが多いのだけれど、彼らはめちゃくちゃに忙しい。

朝からびっしり会議や商談のスケジュールが詰め込まれていて、上と下に挟まれながら必死に働いている優秀な人たちを見ていると、なんだか少し残念な気持ちになってくる。

 

日本企業特有の考え方の1つに「専門性」というものがある。

特定の領域の専門性をもつことこそが価値だと教えられて育った彼らは、入社をしてその業界の「常識」を学び、自社の「慣習」を身につけていく。

上司や先輩たちを見ながら「こういうものだ」という常識を持ち、その中で求められる特定の「スキル」≒「専門性」を磨いていく。

とまあここまではビジネスゲームのルールとして正しいと思うのだが、僕が見ていて「ん?」と違和感に思うのは「特定の専門性さえ持っていれば十分である」という考え方。

知らず知らずのうちに「この専門性を磨いていれば大丈夫」と思うのか、その固定観念の上にあぐらをかいてしまうのかは分からないけれど、他の情報から断絶されていく。

否、むしろ自分から情報を断絶しているのかもしれない。そうでもしないと忙しすぎて、自分の仕事が終わらないのだから・・

スキルはコモディティ化して安売りされる

あなたが万に1人の天才的な才能を持っており、それが特殊なスキルなのであればそれは永続的な価値としてお金に変わり続けるだろう。

でも、世の中の大半の人は「普通の人」であり、なんら特殊な才能は持ち合わせていないことが多い(と思う)。

スキルを磨く、専門性を身につけるという考え方を否定している訳ではない。
むしろその考え方は重要であろうとも思っている。

大事なのは「1つのスキル(専門性)で一生食べてはいけない」ということ。

当たり前じゃん、と思うだろうか?

ですが日本企業の9割はこの「一つのスキルで一生食べていく」考え方を持っており、必然的に日本企業に勤める多くのサラリーマンがその考えに浸っているということだ。

いい例なのが「我が社の技術は」とか「核となるスキルが」とか、言うでしょ?日本企業は。何十年前から同じ話をしているのだ?と言いたい。笑

何かしらのスキルや専門性を身につけたら、それを広げていくのだ。
そうでないと、1つのスキルや専門性の賞味期限はせいぜい数年〜10年で、それ以降はあっという間に安売りされてしまう。

そのためには、幅広く常に情報に触れ続けないといけないのだけれど、日本企業の中と外ではそこで情報断絶が起こっているのがマズイよね、と言う話。

以前、瀧本哲史さんの書評を書いたのだけれど、その中に「専門性はコモディティ化する」と言う話がある。

ざっくりと要約を書くと、例えば「士業」と呼ばれる人たちの専門性は、安売りされているでしょう?と言う話。

弁護士、税理士、看護師、薬剤師、etc。

何故ならば、確かにその資格を持っていないとできないと言う意味では専門性が高いのだけれど、その専門性を持った人たちは世の中に一定数いて、そのほとんどの人たちは提供するサービスにほとんど差異がない。

と言うことは、そのサービスを提供される側の人間は必然的に「安い方に行く」と言う選択をする。
すると、全体として価格競争になってしまい、結果として「専門性はあるが、価値は低いため、値段が安い」という状況に陥ってしまう。

ヤミ金・サラ金が淘汰されたのは、消費者が賢くなったのではなく、弁護士の数が増えたから

今の時代の若者(まあ、僕もかw)はよく知らない人も多いかもしれないが、以前の日本はタチの悪い消費者金融、「通称:ヤミ金(サラ金)」が多く存在していた。

誰にでもお金を貸す一方で、破格の利率で利益を上げるため法律に抵触することも多く、いつからか日本の社会全体が「ヤミ金はヤバイ」と知るようになった。

それは社会が賢くなったのではなく(まあ、ある一定はあるかもしれないけれど)、それよりむしろ「ヤミ金は法律的にアウトだよね」と言ってそこに新たなビジネスチャンスを見出した弁護士の人たちが増えたから、と言うのが正しい理解だと思う。

上で書いたように、難関資格の代表格である弁護士は、司法試験の改定後、その数が一気に増えた訳なのだけれど、それによって「普通の弁護士」のコモディティ化が進んだ。

となると、彼らは「普通の弁護」以外の領域で、何かしら自分の専門性を活かせるところを探さないと、食べていけないわけで、その時にたまたま(?)見出したのが上で書いたヤミ金に対する弁護領域だったのだと思う。

 

これからの社会を見た時にどうなるのか?といえば、僕の勝手な印象だけれどおそらく弁護士の次の大きなテーマは「ブラック企業」だと思う。
ちょうど「働き方改革」という社会の流れに乗って、弁護士などの有資格者が企業内部の改革に諸手を挙げて参加するようになるのは時間の問題だと思う。(実際にそれができるかどうかはまた別の話)

ヤミ金(サラ金)を相手にした時に法律的には「訴えれば確実に勝てる」と言うことを業界全体が学び、社会に対して「サラ金を訴えて100万円取り返しました」というCMを打つことで認知を広げた。(結果として仕事が広がった)

今度は近いうちに「ブラック企業を訴えて残業未払い100万円取り返しました」というCMが流れるようになるはず。

(ちなみに、ブラック企業の淘汰が進むと企業は何を考えるかと言うと、業務委託で外注をする、と言うのが当たり前になり、今度は「ブラック外注」と言う言葉とかバズりそうじゃない?笑 まあ、もう少し先の話だろうけど。)

何が言いたいかと言うと、1つの専門性(やスキル)を持っている人は、それを起点としながらも幅広く社会を見るために、情報に触れましょうよ、ということ。

上で書いた弁護士の例えのような話は、僕的には「1+1=2」くらいに当たり前の話なのだけれど、おそらく日本の多くの弁護士や企業の人たちは考えたこともないはず。(違っていたらごめんね)

別にそんな話はどうでもいいのだけれど、大切なのは情報の断絶を起こさないようにすること。
そしてそれは企業努力ではまだまだどうにもならない領域だと思うので、まずは個人として意識して取り組むだけで十分だと思う。

難しいことはない、毎日定期的にニュースサイトやSNSで情報収集をして、考えて整理をしてみる。以上。

できれば思考を文章に書いてみる(ブログとかね)方がいいけれど、今の時代はTwitterがすごく便利なので、Twitterでニュースサイトを引用して1行、自分の思考を書いてみることから始めてもいいと思う。

そのためには1人になる時間がどうしても必要だと思うのだけれど、不思議なことに、みんな常に誰かと一緒に居ようとするよね。

ちなみに僕のTwitterはこちら

いつも読んでくれて、ありがとう。