べた褒めしてみた

書くということ

これだけ情報を気軽に手に入れることができる世の中です。
僕も含めて人々は皆、日々の生活の中で大量の文章を目にしています。

たくさんのメディアや情報が存在する現代、「このメディアやサイトは毎日見る」と思われるモノは、それだけで価値があることだと僕は思います。

何故ならば、なんらかの情報を発信するメディアやサイトというのは星の数ほど存在するわけで、それらは日々移り変わっていくものです。
循環がとても早いというのがこの情報化時代の特性であり、だからこそその場所に毎日訪れる人が一定数いるのは(=ファンということ)、何事にも変えられない価値なわけですね。

この雑誌は読む。この番組は見る。このサイトはチェックする。
そういうメディアがあるということは楽しいことであり、あなたにも贔屓にしているものがあるかもしれません。

かくいう僕も、3年ほど、ほとんど毎日読み続けているブログがあります。
以前にこのブログで、そのことについて書いたことがあります。

長期的に支持され続けるブログの共通点は、文章に”教養”が感じられること

ずずずさんという外資系企業に勤める編集者の方の日常が綴られたブログなのですが、文章がどこか暖かく、そして知性にあふれていて好きなんです、ということをそれとなく書き綴ってみたのが、上の記事です。

その数日後に、なんと。そのずずずさんのブログの中で、僕が毎日読んでいますという記事を書いたことについて、触れてもらいました。

ベタ褒めされてみた

これは嬉しい。
別に狙っていたわけではありませんが、こうして日々読みに訪れているブログに、自分自身のことを一言でも書いてもらうと、嬉しいというのが人間です。

ずずずさん、ありがとう。

また読んでみたいという文章ってなあに?

うまい文章とは、なんでしょうか。

日本語が綺麗に使われている文章?起承転結がしっかりしている文章?

それはもちろんそうなのでしょうが、正しい文章であるからといって、多くの人がその文章を読むわけではない。
誰が、どんな体温を持って書いているのか?ということだと僕は思います。

必ずしも綺麗な日本語でなかったとて、勢いがあって、どこか読むものを最後までグイグイと引っ張っていってくれる文章というのが存在します。

また、この人の書いた文章を読んでみたい。
そう思える文章こそ、うまい文章なのではないでしょうか。

麻薬のような中毒性がある文章。魅力ある文章。

魅力ある文章を書く人は、やっぱり魅力ある人柄であることが多い。
そして、人柄の魅力というのは、ギャップで生まれることが多いのだと学んでいます。

要は、振り幅です。
その人の内側にある価値観、そして生き様というグラフを書いた時に、どれだけ振幅を持ってそのグラフが上下するのか。

たくさん喜怒哀楽に触れ、人生の経験の中で学びを得て、それらを言葉にする。
そういう魅力ある文章を書けたらいいなと思う今日この頃です。

今日も、僕のブログを読みにきてくださって、ありがとう。