「人生って捨てたもんじゃないな」と思ってもらえるものを書きたい

2018年9月4日日々徒然, 書くということ

2年間書いてきた「はてなブログ」からこちらのワードプレスに移行して1月が経ちます。

ブログのデザインに関しては紹介してもらったプロの方にお願いをするということで調整中です。
(見やすくしますので、もう少し待ってください。いつも読んでくださっている方、ありがとう)

ということで、改めて自分はこのほとんど毎日書いている自分のブログをどうしたいんだっけ?ということを考えているのですが、それがひいては「自分のやりたいこと」を考えるということでもあるわけです。

改めて、僕がやりたいことってなんだろうかと。

僕がやりたいことというのは、感動するもの、心震えるものに出会い続けるということ。また、僕自身がそういう存在でありたいということなのだと思っています。

例えば、ここまでインターネットやSNSが発達した社会だと、日本中、世界中から膨大な情報が飛び交っているわけで、何も僕という人間が何かを発信せずとも役に立つものはそこら中に溢れているわけです。

いいなあとか、役に立つ情報とか、そういうものもたくさんあります。

ただ、その中で心踊るもの。感動するもの。涙が出るほど心を揺さぶるものがあるのかというと、そういうものはほとんどないのだと思います。

今週、甲子園の決勝がありました。

夏の甲子園というのは全国の球児たちの夢ですが、そこには色々な物語と、「甲子園」というイベントを単なる野球大会ではなく数々の人生の物語にした大人たちの思惑と、そういった色々なものが重なり合っているわけです。

ふだん野球に全く興味のない人たちでも、甲子園をみると感動します。心が動かされるのです。

ラグビーの花園もそうですが、泣きながら入場してくる選手たちというのは、それだけで人生を2度生きれるのだと思うわけです。

僕はそういうものを書きたいのです。

僕が書いた文章を読むと、元気が出る。読むたびに元気が出て、気づけば涙が出てくる。

「ああ、人生は捨てたもんじゃないな」と思える。理由はわからないけれど、じわっとくる。感動する。

僕が人生で目指しているものは、たぶん、あの感動なのだと思います。

僕は10代の頃、ずっと音楽をやっていました。

毎晩一人パソコンで音楽を聴いて、曲と言葉と世界に感動し、一人で泣いていました。

何を見ても、何をやっても心が動かされる感性があり、本を読んでも、街を一人で歩いても、音楽を聴いても、その感性が僕の人生の主体でした。

けれどいつしか、社会に近づき、人生のイベントというものを考えるようになってくると、あの感覚を忘れてしまうわけです。

僕は間違いなく好きで好きで文章を書いているわけですが、僕の学生時代に書いた文章を時々見返してみると、今と比べてそれはもうその当時の文章の方が圧倒的に面白い。完敗です。

たしかにそれっぽくまとまった文章を書いているのは今なのですが、前に書いていたもののほうが圧倒的に面白い。全然違います。

何が違うのかというと、そういう感動するとか、感激するとか、何を見ても何をしても泣いてしまうような感覚が前面にあったのかということだと思うのです。

別に何を書いてもいいわけです。今日の日記でも、考えたことでも、内容は別にどうでもよくて、自分自身がそういう感覚を持って生きているのかどうかということ。

「忘れていない自覚」のようなものがすごく大事なんだと思います。

素敵な音楽を聴き、街を歩き、物語に触れ、自分で文章を書いたりする。

そういう時間を送っていると、大切なことを忘れずにいられるのだと思います。