東京へ行った地元の親友の話
※ noteに書いたものの再掲
昨日の午後、地元に帰省中の僕の中高の親友から電話がかかってきて、長電話をしたのが良き時間でした。
大学は早稲田に進学した彼は、そこからずっと東京。いまは東京の大手金融機関で働いています。まさか彼がそんなに堅い業界に行くとは。笑
彼が早稲田に行って、僕は浪人時代を経て地元の国立大学へと進学しました。
そういえば僕が受験生時代(と言っても生粋の「受験生」という感じではなかった。人生のモラトリアム期間だったし、たまたま20歳になった直後に受験というイベントがあった)に、彼は僕に「東京に来て!なんなら早稲田に来たら?受験費用なら持つから」と言ってくれてたな。あのとき、僕が東京の大学へ進学をしていたら、また別の人生があったのかもしれません。
(とはいえ、僕のうちには早稲田のような私立大学に通う学費はなかったけれど)
振り返ってみると、10代後半の僕らにとって、大学生活というイベントは人生において最も重要なイベントの一つに思えていた。
10代の頃、彼とはよく、地元のマクドナルドやモスバーガーにこもって、何時間でも「未来の大学生活について」や「東京という街へ行くことについて」語り合ったなあ。懐かしい。今となっては本当に良き思い出。
あの頃の僕らにとって「東京での大学生活」というのは憧れだったし、田舎者の僕らにはあまりにも輝かしい未来像に思えて仕方がなかった。
将来は常に明るかったし、むしろ眩しすぎて見えないほどに、光り輝いていた。10代特有の一種の病気のようなものかもしれないけれど、それにかかるからこそ、人生というのは面白いのだと思う。
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彼が早稲田へ行ってからは、僕が地元に残り、そこからほとんど毎年、夏や年末年始など彼が帰省をしてきたときは必ずと行っていいほど、会っていた。
僕が大学時代に運転免許を取ってからは、ドライブをしながらこれまたお互いの大学生活について語り合ったりもした。
昨日、僕が大阪の自宅に一人でいて、彼は帰省をして「今から東京へ戻る」という前に(数時間も)電話をしたこととのコントラストは、なんだかとても面白おかしく思えるのです。
高田馬場という街の話
ちょっと話は進み、僕が大学時代の後半になった頃、彼が一人暮らしをしている高田馬場にお邪魔したことが何度かある。
早稲田大学近くの学生街で、ラーメン店が以上に多かった記憶がある。
冬は寒かったし、とても綺麗な街だった。
一般的には綺麗な街かどうかはわからないけれど、ちょうど京都の学生街がそうであるように、前途洋々な若者たちが集まって活気があふれる街というのは良い。
早稲田という街の良さは、周りにエネルギーを作り出すというところにあるのだと思う。
ちょうど僕の好きな村上春樹さんも中谷彰宏さんも早稲田大学(文学部)出身。本気で10代の頃、早稲田の文学部に憧れた。
実際は地元の国立大学の理学部へ進学したけれど、物理を学ぶという選択肢が取れなかったら、割と本気で文学部へ進学していたと思う。世捨て人コースに本気で憧れていました。
お互いに社会人となってからの話
彼はその後、順調に就職活動を経て、大手金融機関に就職。
お金とブランドで選んだ。笑
と普通に言えるくらいに割り切ったやつ。いいと思う。
そういえば、彼の大学時代からの彼女さんにも真っ先に紹介してもらったけれど、都会育ちの上品な方でした。
結婚式には絶対に友人代表挨拶をすることになると思う。予言。笑
彼から1年遅れて僕は社会人になったけれど、互いに全く違う分野の話をするのはかなり刺激的。
友人が金融領域に行くとは思っていなかったけれど、思い返すと学生時代からやたらと日経新聞を読んでいたし、株価とか語っていたなあと思い返す。
結局人は無意識にやっている好きなところへ進むんだろうなと思わされます。
僕はコンサル業界のはなしができるし、こうして互いの仕事の話を交換できるのはすごくいいのです。なんだか新鮮ですね。
毎年、1回くらいはどこかで会って話したいと思うのです。それに僕が東京に行ったら、それこそいつでも会えるしね。
ちなみに彼の勤めている金融機関は東京駅最寄りが本社。
学生時代、東京駅のカフェで「俺たち、がんばろうぜ」とか言ってたな。笑
不思議なものですね。
色々悩みもあるようだけれど、彼のスタンスは絶対時間が正しさを証明してくれると、僕は思います。
これからも、よろしく。