これからの学歴社会に思う、お金の話 〜二極化の中で「学費」をどう捉えるか?

大学時代

国立大学の学費は免除、国の恩恵を受けていた話。

僕は地元の国立大学を4年間で卒業したのだけれど、ありがたいことに大学の授業料が私立大学と比較して極端に安かった。(下の方に概算を記載している)

ふと、国に恩恵を受けているなあと、大学時代に感じていたことを改めて思い返したので、書いてみようと思う。

ちなみにいま、僕が今まで書いた記事の中で一番読まれている記事がこちら。

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僕の両親とその家系は純正ローカル(ようは田舎者)で、僕の幼少期は父親が「サラリーマン」→「ブランク期間」→「兄弟と自営業を始める」というタイミングも重なって、色々と家計的に動いて母親は大変だったと記憶している。

僕が小学生になる頃には父親の自営業は割と安定をしていて、10年間くらいは裕福とは言えずともお金にはさほど困っていなかったと、幼少期の僕ですらわかっていた。

ところが僕が10代半ば頃から、色々と雲行きが怪しくなって、気づいたら火の車になっていた。

別に悪口を言っているわけではないのだけれど、僕の両親のそれまでの生き様が露呈されたんだね。それまでのツケを払うことになったと言っても良いと思うのだけれど、結構大変で、僕はわりと真剣に「家計が燃え尽きるかもしれない」と思っていた。人生は辻褄が合うようにできているのだ。

大学受験をするときは国公立大学以外の選択肢は自ずとしてなくて、私立大学と比べて圧倒的に安価な国立大学ですら、家計的にはままならない。
奨学金で補填をし、足りない分はバイトをするか、自分で稼ぐか、でも体のこともあるしな(ちょうど10代で体を壊していたこともあったので)と思っていたのだけれど、さすが国立大学。
なんと、授業料免除という制度があるらしい。それも「成績」と「親の収入」で大学機関を通して申請を行うことで、学費の一部(場合によっては全額に近い割合)を国が負担してくれるという。

公務員でもないのだけれど、それは間違いなく国民の税金から算出されるもので、「いまは頑張って勉強をして、将来稼いで、いっぱい税金を納めてね」というメッセージなのだ。これは素晴らしいと本気で思った。

※参考までに、「国公立大学」を選んだ場合と「私立大学」を選んだ場合、入学〜卒業までかかる費用の概算がこちらのページにまとめられていたのでどうぞ。
僕の場合は「国立大学(理系)」なので、満額支払えば242万円になる。
一方、「私立大学 理系」を選択すれば521万円が相場になる。
なお、これはあくまでも「学費」なので、生活費用諸々を入れれば、例えば「地方国立大学」と「都会の私立大学」では軽く2〜3倍の費用の差が生まれることは歴然としている。

 

高校生活の後半半分は学校に通ってはいないけれど、成績だけは抜群に良かった。笑(ほとんど「オール5」だったと記憶している。というか、小中高と5段階で「5」以外の成績を取ったことはないんじゃなかろうか)

加えて、入試の成績も一部加味されるのかな?(たぶん)
それでいても、地元の大学だったので、おそらくはぶっちぎりだったはず。(たぶん、ね)

重ねて、親の収入!ときた。最高だ。
大学入学当時、「前年度の親の収入」は極めて厳しくて、トップ層での申請だったはずだと自負している。笑

 

詳しくはわからないけれど、おそらくは「親の収入」に応じて傾斜をつけて、成績を見るのではないのだろうか?

何れにせよ、僕は無事申請が通り、結果的に4年間まるっと国の恩恵を受けることになった。(一円も払っていないわけではないです、もちろん最低限の授業料は納めていたけれど、かなりお世話になったのは確か)

なお、こちらの学費免除は「一度の申請で4年間の免除」ではなく「毎年更新」なので、毎年申請の時期になると、「去年、親は大して稼いでいないから大丈夫なはずだ」と分かってはいても、結果の公示まではヒヤヒヤしたものだ。

当時、「将来は稼ぐ人間になって、国に貢献しよう」とかなり本気で思って、勉学に打ち込んでいた。

今風ではないのかもしれないけれど、言葉が適切かはわからないけれどそういうちょっとした選民意識があるからこそ、頑張れる瞬間というものは確実にあるのだと思う。

結果的にいま、こうして社会の中で何かを生み出し、しっかりと稼いで納税をする人間になったのではないだろうか、と思っている。

自分の身の回りの生活費を稼ぐことを実感する

授業料の恩恵を受けてスタートした僕の大学時代だけれども、どうしても大学生活には最低限の軍資金が必要になる。し、そもそも学費は完全ゼロではない以上、多少の資金は必要になる。(親には頼れない)

通学費用、移動費や交通費、食費などの活動費用もそうだし、そして何よりも「書籍代」。これがバカにならない金額で、教科書や参考書はもちろん、時間だけは有り余っている大学時代、本が読みたくてしょうがないのだ。

そこは割り切って、これまた「日本学生支援機構」という、旧・育英会という国に紐づく団体から、無利子で返済猶予が長い奨学金を借りた

そもそも奨学金には、返済するときに利子を数%つける「有利子型」と、日本学生支援機構(第一種)のような返済時に利子をつける必要がない(=例えば100万円借りたら、100万円だけ返済する)「無利子型」の2つがある。

「日本学生支援機構」を選んだ理由は3つくらいあって、

・無利子型(返すときに、利子をつける必要がない)の「第一種」が選べた
・返済猶予があり、返済期間が長く(就職後、半年は返済が猶予される:僕の場合は2017年の3月に大学卒業→4月入社→10月に返済開始)、分割で毎月1万円代から返済可能(返し終わるのは40歳くらいだったと記憶している)
・一般的な大学はほぼ全て導入しており、信頼値が高い

という理由。これはでかいでしょう。

※第一種は誰でも受けれるわけではない。成績が見られる。
逆に有利子型の「第二種」はほとんど誰でも受けることができる。そして有利子とはいえ、他の奨学金(銀行の教育ローンなど)よりは利子はかなり低い

(参考までに書くと、例えば地域の奨学金や、大学独自の奨学金が課されているところも多い。条件としては例えば卒業後にその県で働く、みたいな。給付型もわりと多いので、自分が通いたい大学の奨学金は調べるべき)

 

利用目的は消費ではなく「大学生活にかかる必要な軍資金」という目的に限って、奨学金を借りるのは(たとえ借金であったとしても)有意義だと判断したのだ。当時20歳。

実際に「4年間でかかった学費」≒「日本学生支援機構」≒「約200万円前後」なんだけれど、その算出ロジックは下の記事の中に書いてます。

以前このエントリを書いたのだけれど、こういうことは大学1年〜2年生くらいの間で考えた。人間、お金に切羽詰まると、ちゃんと考える。

これは流石に10代そこらの高校生時代に、自分自身の人生と経済と機会を考えて、進路選択を決断しろというのは、酷だと思う。(できる人もいるとは思うが、ごく一部)

これはやっぱりある程度大人の判断の手助けが必要だと思うけれど、それだけのリテラシーを持った大人が周りにいるかどうかというのは、環境要因という運に依存しがちなのは致しかたない・・

僕の場合は、こういうことを考えてくれる材料を提供する大人が(両親も含め)周りに全くいなかった。ごめんね、でも事実として全く参考になる人はいなかったのだ。

ようは、自分で考えて、自分の人生で責任を取れる範囲の中で、人生を選択しなければならないという状況だったと思う。

不確定要素極まりない環境だったと思うけれど、結果として、正しかったのではないかと今となっては思う。

 

さて、奨学金を借りて教科書代金と一部学費を担保できるとなった。

けれども、自分自身の学生生活を賄う費用はない・・

どうしたものかと思っているうちに、以前通っていた数学塾に「塾講師の立場」で雇ってもらった。

県内のトップ水準の頭脳を持つ小・中学生(一部高校生)に対し、先取りで数学(とその他も含む)を教えるという経験は、すごく勉強になった。

手前味噌だけれど、これは誰にでもできることではない特殊技能なので、時給?というか給料はかなり良かったと思う。

大学一年生にして、「価値(=お金)というのは需要と供給で決まる」のだということを実感。

スキルはお金になる。笑

しかも、そのスキルは「いつの間にか自然に」身についたものであったこと、そして後から気づいたのだけれど、数学を教える技術というのは、割と高度であるということで、楽しませてもらった。

そんなこんなで稼いだ軍資金はすべて本代(一部コーヒー代)になり、大学時代を満喫させてもらったことは、ありがたいと思っている。

たくさんの判断材料を持って欲しい

何をまとめるかは難しいのだけれど、僕自身が思っているのは、これからますます学歴社会になるということ。

「大学」という場所自体に行ける人は少なくなるし、価値は相対的に上がる。

いまはむしろ、大学の大安売り、バーゲンセールだから、おかしい時代だということに、後から皆で気付く時が来る。

今の時代が異常であり、例えば昔の中卒・高卒の水準の方々ですら今の時代に「4大卒」を名乗れるということ。

とはいえやっぱり日本国民の半数しか大学に通えないわけで、今をピークに、その比率は間違いなく下がっていくだろう。

もし、この記事を読む人が学生なら、まずは正々堂々、上を目指して欲しい。

心配せずとも、難関大学は誰にでも受かるものではないので、自ずと結果は自分の実力の範囲に落ち着くことになる。だからまずは堂々と自分が望む精一杯、上を見ていい。

もし、この記事を読む人がこれから先、親になる。大人になるのであれば、できる限りたくさんの判断材料を未来の10代に届けられる人になって欲しい。し、僕自身、そうでありたいと思う。

「学ぶ」というのは義務ではない。究極の権利だと思っている。

「学歴社会は終わった」とか「日本の大学はオワコン」というのは簡単だけれど、代替案を具体的な物事として進めることはとても難しいことだと思う。

社会が謳う通り、確かに変化の時代であることは変わりはない。

けれど、人間や社会の本質は、そんなに簡単には変わらない。

自分の生きるをしっかり見つめて、歩みたいものですね。

読んでくださって、ありがとう。