若いうちに、夢に決着をつける経験をする。

2018年9月4日就活生向け, 大学時代

10代。もしくは20代で、夢に決着をつけるという経験は、人生においてすごく大事なことなのだと思います。

例えば、僕の高校は地方の進学校でしたが、僕の高校にはもともとは私立大学を志望していた。ただ、浪人が決定したので、1年間の間で、国立大学を目指してみる。

あるいは、医学部医学科を志望して、何年も浪人生活を重ねてみる。

そういう人が多かった様に思っています。

もともと私立大学を志望していた人が、1年である一定水準の国公立大学を受験して合格するというのは、基本的にはまず起こりません。

私立大学と国立大学の入学試験はまるっきり種目が異なるし、受験科目数という視点でいうとそもそもかなりの難易度の差があります。

医学部受験もそう。1年、場合によっては2年の浪人生活で受かる人というのは、もともと合格する可能性が十二分にあった人です。

ポテンシャルという意味で、現役時代にかなり惜しかったけれど、何かがもうちょっと足りなかった。

そういう人が、1年間の浪人生活を経て、合格をしていくわけです。

上の話でいうと、だからと言って「国公立大学を受験しても無駄」とか「医学部受験で多浪しても無理」といっているわけではありません。

何が言いたいかというと、現実的なところはきちんと抑えつつも、それが自分の夢ならば、きちんと夢に決着をつけることが大切なんだと思う。

例えば、現実的に私立大学も受験しながらも、最大限に国立大学の受験を頑張ってみる。

2回受けて無理なら、医学部は諦めて、他の理系学部にシフトする。

ただし、やるからには最大限に努力をする。夢に挑戦してみる。

そうすることで、仮に無理だったとしても、諦めがつくわけです。

例えば、国公立大学の合格に叶わなかった人は、そもそもそのコースで勝負していくのは無理だとか、

あるいは頑張ったけれど、どうしても医学部に合格するのは厳しかったのならば、医者の道を歩むことを諦められるわけです。

そうやって若い時にきちんと自分の夢に決着をつけることができた人が、その次の夢に進んでいくことができるのだと僕は思います。

プロとして勝負する世界

話は変わりますが、将棋の世界には、年齢制限があります。

将棋のプロ棋士になるには「奨励会」という場所を通過しなければならないのですが、奨励会は「何歳までに、何級(段)にならなければ、奨励会を退会しなければならない」という規定があります。

それくらい厳しい世界なのです。

スポーツをやっていた人は、その意味がよくわかるはずです。

プロのスポーツ選手になれる人は、同世代人口のほんの数%です。遺伝子レベルで決まっている話なわけです。

ただ、20代半ばになるまで、将棋のプロ棋士になるために全てを捧げた。あるいは、サッカー選手になる夢を本気で追いかけた。

そうやって一つの夢に人生をかけた人は、たとえ別のフィールドに行っても、必ず輝くことができるのだと思います。

大学受験のそのあとは?

その先にある次の戦いは、多くの人にとっては就職活動です。

社会と接するその場所は、もっともっと厳しかったりもする。

みんなが知っているあの会社に受かるということが、いかに大変かということです。

実際に経験をしてみた人しかわかりませんが、普通の大学生が各業界の上から順番にエントリーをしてみたとする。

30社、50社、場合によっては100社エントリーをして、1社も内定が出ないということだってあるわけです。

社会が悪い、自分が悪いとかいうことではなく、全力でやった後には、ああ、自分はそもそもこういうところで勝負するのは無理だったのだとわかることができます。

だったら、どうするのか。

道はたくさんあります。人生はなんでもありだからです。

仕事をして、人生が不幸になるのならば、その場所はきっと間違っています。

***

僕は今まで、負け続けの人生の繰り返しでしたが、その度に「この場所では無理だ」ということを経て、その結果、今いる場所にたどり着きました。

生きるということは、最大限に頑張ってみること。そして頑張って無理なら、場所をシフトしてみるということなのです。

先日、僕の職場のトップコンサルの先輩に「ゆってぃくんの強みは、大局観と、独創性だと思う」と言われました。

人生を、大局観をもって捉えているところ。

今までの人生の中で、自分が勝てるには?という試行錯誤を続けた結果の独創性。

すごく「なるほど!」のメタ認知につながっています。

あなたの夢は、なんですか?

共に、咲きましょう。

いつも、ありがとう。


憧れの会社はある。志望動機はない。

憧れの会社はある。志望動機はない。