記憶の抽斗(ひきだし)を開ける

2019年8月18日日々徒然, 大学時代

今朝は8月17日。
土曜日の朝7時台発、関西空港行きのフライトで大阪に戻ってきました。ゆってぃです。

昨晩、金曜日の夜。
9日間の帰省のラストナイトは、僕が大学時代に初めて社会と接点を持つきっかけとなってくれた理学部の友人(僕は物理学科、彼は数学科だった)と、その先に出会った大人で、今の僕につながる社会との接点を切り開いてくれた人。

そしてそれまたその時の仲間たちと約3年ぶりに集まっていました。

 

その大人というのは、僕が大学時代に事業・会社の立ち上げに関わった時のパートナーです。
彼が社長で、僕はナンバー2。と言っても実働を兼務する立場で、会社を作るときのイロイロを一緒に経験しながら、事業モデルを模索し、土台を作るところを一緒にやっていました。

何度かブログに書いたことがありますが、僕は大学時代にその人が作る会社の立ち上げのお手伝いをしていました。
領域的にはかなり先行者利益が大きな分野で今はその利点を存分に活かしているのだと思いますが、当時は逆にいうと周りに参考になるモデルがなくて、ああでもないこうでもないと模索をしたことをよく覚えています。

僕は1年弱しかいませんでしたが、一緒に作り始めた会社は、今はその領域では地元県内では有数の会社になっていて(いわゆるニッチトップというやつ)、社員も抱えながら頑張っている話を聞かせてもらいました。

ちょうど僕より5歳年上の人で、地元から離れて東京で20代を過ごし、起業を考えるタイミングで地元に戻ってきた最初の時に、僕と、学生時代の仲間たちと出会っています。

話は少しそれますが、結局その後アカデミックに戻ったのちに、僕が大学4年生で就活をするきっかけとなった場所に出会っているので、たくさんのきっかけとなったことに心から感謝をしています。
僕は大学時代の後半に、就活事業を新たに立ち上げるところ(東京本社のクリエイティブ会社の地方事業)に参画をさせてもらったのですが、その場所に出会ったのは、上で書いた大人と一緒に事業をやりながらいろんなコミュニティへ繋がったことがきっかけでした。

大学時代を駆け抜けた友人たちとともに

上で書いた僕の理学部の友人(数学科)は、僕が立ち上げに関わったその会社に就職をして3年目になります。
僕も就職を機に東京に行き、そして今は大阪にいるわけですが、その間、LINEや電話をすることは少しありましたが、こうしてきちんと話をするのは初めてで、お互いに語り合えるようになるにはこのくらいの時間が必要だったんだなと改めて実感することができました。

そこに集っていた仲間たちも面白くて、1人は僕の1つ下の世代、大学時代の後輩で、東京の大手企業へ就職をし、1年頑張った後に、昔から「いつかはやりたい」と語っていたコミュニティ作りをすべく会社を辞め、これまた優秀な仲間2人と共に3人で事業を始めるそうです。
今回、彼も帰省のタイミングだったのですが、その2人の仲間も一緒にきてくれました。

もう1名は僕の同級生で、大学時代に学習塾を起業し、早いもので5年目?かな。
大変な時期もあったようですが、今はかなり大きくなっているようで、お互いの成長を感じました。ホスト出身のチャラさは変わらずでしたが・・

彼が大学時代にその塾で、授業が終わった夜にいろんな20代の仲間を集め、勉強会と称して語り明かしたことをふと思い出しました。
毎回10名前後の人たちで、自分はこれをするんだ!という奴らが集ってくる場所にもなっていたなあと、自分の記憶の引き出しにしまい込まれていた思い出が蘇ってきて、懐かしさを感じていました。

 

ホテルのラウンジに集合しコーヒーを飲みながら語り合い、そこから中華を食べに行き(割と格安だった)、
そして隠れ家的なバーに移動して男6人で飲んでいました。僕は相変わらずジンジャーエールです。

バーには大きなテーブルがあって、男6人でポーカーをしながら夜中まで。
3時前くらいまでやっていたかな?

久しぶりにこういう遊び方をしました。というか初めてかも。
ちょっと大人になった気分で、そのまま帰ってほとんど寝ずに、6時には家を出て空港へ向かう足は、結構いい気分でした。

記憶の抽斗(ひきだし)を開ける

地元にいる大学時代までは気づかなかったのですが、卒業して地元を出たあとになって、帰省をするたびに自分自身の20数年間を思い返す機会が多いのです。

人と会ったり、足を伸ばしてみたりとするうちに、自分自身が忘れていた過去の出来事がひょんなことから顔を出したりするのです。

この夏休みの帰省でも、僕の中学・高校時代のクラスメイトの話題が出てきて、ああそういえば中学時代に僕の周りはすごく勉強熱心な人が多くて、周りの大人たちは偏差値教育の観点でしか子供を見ることができなかったな、ということを思い出しました。

10年も前の話なので、そこから先に僕自身がいろんな本を読んだり考えたりする中で、少しずつ今の価値観になってきたのだということ。
そして建物に例えるならそれは3階建の家の3階以上の話で、2階は10代までの教育環境とそれによってもたらされる価値観があって、今の僕の生き方というのはその上に築き上げられているのだなあと。

ん、1階は?

そうですね、1階は遺伝子だと思っています。
(と、最近「真夜中の雑談」という千田琢哉さんの音声でそう話していたのを思い出しました)

何れにせよ、僕の10代までの仕舞われた記憶を呼び起こしてくれたのは、大切な話ができる人との対話であって、大切にしたいなと改めて思ったのです。

日常的に物を書く習慣がある人は、記憶の抽斗を開けるのが上手い人が多いです。
普段の生活の中では、なかなか出会うことがない記憶を上手に引き出して、それらを組み合わせて文章を書いているわけです。

細部の色や匂いに至るまで覚えている。
そんな瞬間を、物を書くとき以外でも思い出すことで改めて自分自身の原点を見つめ直すきっかけになるのではないでしょうか。

 

大阪の自分の家は、9日間空けただけなのに、どこか新鮮で、そして何よりも居心地が良いです。
今日はぐっすり眠れそうです。