自分の学びの質は自分でコントロールする

2018年10月14日学生時代, 大学時代

リクルートが出している受験サプリの記事があります。

newspicks.com

大学の友人とこの記事について話す機会があって、僕自身の今までを振り返りつつ、思うことを。


自分の学びの質は、自分でコントロールする

僕の一貫した姿勢です。

これが身についたのは明らかに10代のとき。

地方の中高一貫校の私立に通っていたので高校入試がなく、中3くらいになるともう周りは大学受験を踏まえて日々の勉強をするようになります。

別に、いわゆる受験勉強!のようなガリ勉をするのではなくて、大学入試を目標にして日々の中で淡々と勉強を積み重ねていく。

いずれ受験に使うものという前提があるから、ちゃんと一つずつ丁寧に消化していきます。

言葉はあれなのですが、本当に優秀な連中は中学の段階で、自分たちは学校の教師よりも頭がいいということに気づきます。(本当はもっと前から気づいている人たちもいそう)

高校に上がる頃には、特に英語や数学、あるいは理科といった科目においては教師たちよりもできる、というのが当たり前になっている。(僕の話ではありませんよ、あしからず)

大学受験を踏まえて、最も効率的な勉強は自分たちでできるという自負があるので、基本的に学校や予備校の授業は利用するという感覚でいるんですね。

斜に構えているとかそういうことはまったくなくて、すごく自然な感覚で、自分たちに必要だと思う学校や予備校のリソースは使って、多くのそれ以外の部分は自分たちでやる、というのが当たり前なんですね。

最難関クラスをずっと見ている教師の側だって、優秀な生徒たちは勝手に勉強して勝手に受かるということを知っているから、何も言いません。学校が求めるものとして、やることはちゃんとやってね、それ以外は勝手にやっていいよというスタンスです。

そもそも教師が生徒を大学に合格させるというのは、基本的に無理です。自分があの生徒を育てて合格させたんだと思いたい教師は多いと思いますが、そんな人はいません。優秀な生徒というのは自分で勝手にやって、勝手に受かるんです。

(その視点を持っていない人に限って、「〜〜分野特訓講座」とか「難関大学突破講義」とかいう中途半端な授業をするんです・・)

学校の授業というのは、自分で勉強できる人にとっては、基本的にすごく遅い。(そのペースで設計されているので、当然のことではありますが)

もちろん、先生の話を聞いて理解したほうが圧倒的に早い場合はあるのですが、それは基本的に「何がわからないのか」をわかっている生徒の場合です。

新しい単元に入る際に、全体像を上から見て理解する場合。あるいは、一度通して全体像を掴んでいる上で、それを系統立てて理解するという場合とか。そのくらいです。

できる生徒というのは、それがちゃんとわかっているので、授業と自学をバランス良くやっています。

だから、学校の授業の中でも、大半は自分で勉強しています。内職ではなくて、普通に自分で勉強を進めていて、その中で分からない分野やポイントは、授業を活用したり先生に聞いて潰していく、というスタンスなんです。

あとは、作って配ってくれるまとめプリントをもらってうまく組み合わせて活用するとか。

要は、自分の学びの質は自分でコントロールするというスタンスでいる。

授業の50分なり70分(うちの高校は70分授業だった)という時間に対して、教師の授業の質に依存しないんです。

まあ、今となっては、大学受験を念頭に置いた勉強をしすぎることは、ある種の弊害を招くとも思うので、もし僕がいま10代ならば、そんな過ごし方はしませんが、「自分で学ぶ」という学びに対する姿勢は一貫しているのだと思っています。

学校の授業や教師を否定しているわけではありませんよ、まったく。それは勘違いしないで読んでいただけたらと思っています。

義務教育や大学がどうかは、学生には関係ない

中学や高校までの義務教育の在り方がどうだとか、日本の大学の在り方がどうだとかいう議論があります。

もちろん、時代は変わっているからこそその仕組も変容していく必要はあるのだけれども、そこで学ぶ生徒(学生)にとっては、そんなものは関係ないんです。

関係ないは言いすぎだけれども、自分の学びの質は、自分で確保しようよということです。

今は、大学の学びはスマホやタブレットというデバイスの中にあります。

智の最高峰である大学ですら、塗り替えられようとしている。むしろ、殆どの学びは置き換わっています。

冒頭に紹介した受験サプリの記事がありますが、今後はもっともっとこれがスタンダードになる。

義務教育ですら、その役割が置き換わっていくのだと思っていて。

もちろん、学校教育が果たす役割の中で、普遍的なものはあります。

それは間違いない。

大学がいらないとも思っていません。

少なくとも、学生として学ぶ立場の僕らのような人にとっては、その90分の講義、あるいは学校に通う1年単位の時間において、学びは自分でできる時代なのだと思うんです。

その視点を持っているかどうかはすごく大切で、そうじゃないと他人に自分の学びの質をコントロールされてしまうということです。

それはつまり、他人に自分の人生をコントロールされてしまうということ。

それはすごく怖いことだと僕は思っています。

僕は以前に、講義を聞くことが、勉強をすることではない。 – 大人の少年で、僕はありたい。という記事を書いたけれども、要はそういうことです。

授業に出席すること、講義を聞くことが勉強ではない。学びというのは、そんな浅いものではないんです。

本当に学びたい人は、放っておいても自分で掴みにいきます。

少なくとも僕はそう思っていて。

今の時代だからこそ、今までの人類の知恵を活かして、もっともっと自分の知を前に推し進めようと思うのは、自然なことだと思うんです。

いい時代に生まれ育ったことに感謝。

<追伸>

勉強し放題の現代に生まれてよかった。