大学時代を振り返ってみる。

2019年1月20日大学時代

僕は今、大学4年生になりました。

このブログは、大学4年の5月の連休中に、夜自宅の部屋で一人きりで綴っています。

これまでの僕の大学生活を振り返りながら、大学時代について将来の大学生に伝えたい事を、今しか書けない僕の感性で綴っておこうと思い立ちました。

僕の2つ前のブログは、僕が大学に入ってから書き始めたブログです。

先日、そのブログの最初の記事を読み返していて、ものすごく懐かしい気持ちになりました。

たった2年前ですが、ものすごく懐かしい。

僕はこの大学生活で、ものすごく成長させられたのだなぁと、改めて実感しました。

日々こうして綴る言葉というのは、一期一会です。

いま、この瞬間の感性でしか書けない言葉というのが絶対あります。

だからこそ、大学時代に感じた事は、大学時代に残しておきたい。

僕はこの3年間を振り返るだけで、それまでの20年間以上に濃い時間だったと感じさせられます。

僕の大学時代が、将来形になって残るといいなぁ。

このブログで「大学時代」というカテゴリーで、僕の大学時代への想いや、将来の後輩たちへのメッセージになるものが少しでもあれば、という思いで綴っていきたいと思います。

大学入学は、僕の執念だった

僕は浪人をして、大学に入りました。

身体を壊して、高校には半分通えなかったという思いを抱えていた僕は10代の頃、

「もう大学には通えないんじゃないか」

という恐怖にも似た焦りを抱えて、日々を過ごしていました。

大学入学というものを意識し始めたのは、中学生の頃。

地方の私立中学でしたが、僕の周りはものすごく勉強をする友人たちがいた。

そんなクラスメイトに囲まれていたので、高校受験がなくエスカレーターで高校に上がることのできる中学3年の頃には、もう既に大学受験の話をしながら、大学受験に向けて勉強を始めていました。

それが当たり前だった中学と、高校時代。

勉強に対するプライドは、中学時代に形成されました。

ただ同時に、僕は「才能」の壁にぶちあたったのも事実。

何もしなくとも、ぶっちぎりだった小学校時代から一転して、中学時代は頑張っても勝てない「才能」という壁が、僕の目の前に立ちはだかりました。

そこから部活に精を出してみたり、色々と頑張りました。

自分の唯一の存在価値が欲しくて。

でも、結局、何をやってみても当時の自分に残されていたのは「勉強」しかなかったんですね。

それに気付かされ、さらに必死で頑張り続けるわけです。

そんな高校2年生の夏、僕の人生にとって大きな転機が「病気」という形で訪れるわけです。

それまで優等生で頑張っていた全てのものを、手放すきっかけを神様がくれました。

本当にしんどかった。

でも、今となっては、本当に感謝しています。

それからの数年間、僕は周りが順調に大学進学を決めていく中でもがいていました。

それまでそれなりに勉強を頑張ってきた自分にとっては、大学というステージは当たり前。

当たり前ではありましたが、同時に”憧れ”でもあったんですね。

でも、そんな憧れの大学生活を、送ることができないのではないか。

周りが進んでいく中で、世界中で自分一人だけ取り残されているような感覚があって。

だからこそ、受験ができる。と思った時には、ものすごく嬉しかった。

僕の受験勉強の大半は高校2年生までで終わっていたので、受験前はほとんど何も勉強はしませんでした。

パラパラと見返して確認をする程度。

受験自体はものすごくあっさり終え、合格発表には感動も何もなかったのですが、

実際に大学に登校した日には、ものすごく感動した事を、今でも覚えています。

大学1年は、それまで勉強ができなかったという不完全燃焼の想い、言うなればもっと強い執念のような気持ちで、勉強に取り組んでいました。

毎朝8時に大学に行き、講義後は夜の9時から10時頃まで図書館に残って勉強をし、本を読む生活。

それをほとんど2年間し続けたわけです。

10代後半を含め、あの時代に築いた僕の礎は、今の僕の圧倒的なバックボーンになっています。

なぜなら、ひたすら孤独に自分と向き合い続けた時間だったから。

もしかしたら僕は、すごく尖っていて、同級生たちからすると嫌な奴に見えたかもしれません。

学科の人とは関わらない、勉強ばかりしている、飲み会には1度も顔を出さない、というように。

気づけば僕は2年間、個人的に付き合う友人を除いて、いわゆる大学生らしい関わりは、ほとんどなかった。

ただひたむきに、自分自身が何者なのか、を問い続けていた。

そんな大学生活の前半でした。

そこから学んだこと。

やっぱり、若い時代というのは、青春なんかではない、ということ。

少なくとも、人生の夏休みと揶揄される大学時代は、青春時代なんかではなかったということです。

若い時代は、とことん孤独に、自分自身を磨く時代。

未来に何かを成し遂げたかったら、ある程度苦しむような時間も必要なんだと、僕は思います。

苦しむと言っても、単に苦痛である、ということではない。

なんというんだろう、快感を伴うような、でももどかしい苦しみ。

どちかというと、執念の時代。

そんな若い頃の怨念が、自分の人生のモチベーションになっていく。

何かを成し遂げるというのは、そんなことなのかも、しれません。

孤独だと言っても、誰とも関わらないというわけではない。

その中で特に関わった一人というのは、鮮明に心に刻み込まれていきます。

僕の場合は、大学時代を共にした、苦労も成長も共に実感した、いろんな時間を共有した大切な人がいます。

大学時代は、その人と関わった時間。

そう言い切れる人。

一人でも、そんな人に出会うことができたら、素敵な大学時代ではないでしょうか。