言葉の音楽を聴くために、文章を書いて過ごす眠れない夜があるんです。

2019年1月3日書くということ

さて。なんだか眠れずに、気がつけば夜中の2時半を回ろうとしています。

本を読んでみたり、ビールを飲んでみたり、夜空の下で散歩をしてみたり。

僕には夜の愉しみが幾分かあるのですが、眠れない時には何をやっても眠れない。

眠くないわけではなくて、むしろ瞼は重くなってきているのだけれど、布団に入ってみるとなんだか落ち着かなくて、こうしてパソコンに向かっているわけです。

ふと何かしら手持ち無沙汰になったとき、気づいたらこうして文章を書くことができる愉しみがあるというのは、僕にとってすごく良いことです。

特に何か伝えたいメッセージがあるとか、表現したいものがあるわけではなくて、「これを書こう」と思って書き始めるわけでもなくて、ただパソコンを立ち上げて、ブログを開いて、気の向くままにキーボードを叩いているわけです。

本当にほとんど何も考えないまま、頭の中で聞こえてくる音としての言葉を、ただそのままに指が打ち込んでいるという感覚は、とても落ち着くんですね。

だからこそ、眠れない夜の愉しみになるのだろうけれど。

ああそうか、眠れない夜に音楽を聞いてみたり、羊を数えてみたりすることに、近いような気がする。

文章のリズム、言葉のリズムに癒されているから、寝る前にブログを綴ると眠くなってくるんですね。

思い返してみると、最初にブログを書き始めたのはたぶん僕が高校生の時です。

家にいるようになって、たくさん本を読んでいて、でも自分自身の中から何かを外に出す(アウトプットする)機会というものが何もなくて。

人間は何かしらの創作活動をしないと、例えば人に会って話すだとか、どこかに足を運ぶとか、意味もなく歌うだとか、そういったことをしなければ、バランスが取れなくなってしまうものだと思います。インプットとアウトプットのバランスですね。

僕の場合はそれが単純に「書く」ということだった、ということです。あとは、音楽。

この2つに僕は、どれだけ助けられたことか。

あの頃のブログ(いくつ前のものかはもう忘れてしまったけれども)は未だにどこかに残っているのだろうか。

あるいは、あの頃書いていたノートブックも、僕の机か本棚のどこかに残されているかもしれない。

あの頃から、特に何かの目的があって書き始めたわけではないけれど、そしてそれは今も変わらなくて、本当にただ自分が楽しいから、書いている。それだけです。

その延長線上に、読んでくれる人がいて、だったらせめて何かしらのものを、つまりはわざわざ時間を割いて読んでくれるわけですから、読んでよかったとか、気づきがあったとか、何かひとつでもそういったきっかけになるものがあればと、そんな風に思って、いろんなことを書いています。

それが結果的に自分の思考の整理になったり、あるいは何かしらを発信することに繋がっているのかなあと。それくらいの気楽さで、日々生きています。どうも。

明日(というか今日)の朝は少しゆっくりと過ごして、お昼頃から出ます。多分大学に。

今日(というか昨日)は夕方頃まで家にいました。何をしていたんだったか。そのあとは一人でスタバで過ごしていました、例のごとく。

また一緒にドライブに行って、海辺をお散歩しながら、いろんなお話がしたいです。カフェ巡りもいいなあ。

ということを書いているうちに、まだ15分くらいしか経っていないけれど、眠くなってきたので再びお布団に。

ありがとう。おやすみなさい。