学校に投資するのは本当にありなのか? 〜「学校への投資」と「教育投資」を混同してはいないだろうか〜

2019年1月3日思うこと

僕はこの4年間で、奨学金を借りていました。日本学生支援機構から借りる奨学金という、いちばんメジャーな奨学金ですね。

僕が通っているのは国立大学なので、年間の授業料が大体50万円半ばくらい。(入学金が確か30万円弱くらい、だったはず)

ただ僕は授業料の半額免除を大学1年の頃から受けているので、毎年支払う授業料はこれまた30万円弱くらい。

ただ、4年生の今年度は親の収入の関係でなぜか半額にならなかったため、50数万円を丸々と払っています。

となると、4年間の授業料(+入学金)は合計で大体180万円弱とか、そのくらいになります。

僕は実家生なので、学生支援機構の第一種奨学金を月々45,000円ずつ。

これを4年間合計すると、216万円になります。

僕の場合は機関保証という制度で借りていて、毎月少しずつ保証金が引かれるという仕組みなので、まあ大体4年間で200万円の奨学金を借りていることになります。

学費を支払うこと、加えて諸々の費用(教科書代とか)を踏まえた場合、僕の借りた第一種奨学金は、ほとんど残らない、ということになるんですね。

これは僕が大学に入るときに考えたものでしたので、まあその時の僕には奨学金を借りて学費を払うという以外の選択肢がなかったので、まあ妥当かなと思っています。

いくら実家から通っていると言っても、大学生として自分自身の生活費用が必要だと気づいたのは、大学に入った後でした。

生活費というのは、普段の移動費用だったり、飲食代、あるいは僕の場合だと書籍代、そしていまこの記事をスタバで書いているような出費の費用です。

その自分の生活費用に関しては、僕は大学1年の頃から塾講師のアルバイトをして、まあそれなりに十分な費用を稼いでいたので、特に困ることはありませんでした。大学3年の頃からは、インターンシップもしていましたしね。

と、ここで、新たな問題が浮上します。

「あれ、もし僕が大学4年生になって、大学院を受けたり就活をする場合の費用、あるいはそのあとの引っ越し費用って、なくね?」と気づいたのが、大学2年生くらい。

渡航費を含む移動費用(活動費用とも言える)や引っ越し費用というのは、もちろん僕の家庭で賄う(親や親戚に頼む)ことは、ほとんど不可能でした。それくらいは大学生になると、さすがに気づきます。

ということで、僕は大学3年生から約1年間、もともと借りていた第一種奨学金に加えて、第二種奨学金も借りることにしました。大学4年生になったとき、あるいはそれ以降の諸々の活動費用の確保が目的です。

第二種奨学金と第一種奨学金の違いは、返済時に利息がつくかどうかです。

4年間借りていた第一種奨学金は、原則無利息です。だからこそまあ4年間も借りることが可能なわけですが。そのぶん、学力の審査を含めて、多少の審査があります。

対して、第二種奨学金はほとんどの大学生が原則借りることができるもので、有利子です。と言っても、金融機関から借りるものなどと比較すると、べらぼうに低利氏ですが。さすがに教育費用としての奨学金なので。

ということで、僕は1年間、月々5万円の第二種奨学金を借りていました。これだけで、60万円。

第一種奨学金の余りもあったので、結果的にすることになった就職活動の費用に充てることができました。

逆にいうと、それがなければこれだけ飛行機を使って東京に行き来して就活をして、というのはできなかったので。

学校への投資はリターンがあるか?

とまあ、ここでは僕のお金の話を書きたいわけではなくて!(すみません)

今の時代に、学校に投資をすることは、本当にありなのか、合理的なのか。つまりは、何百万円も投資したぶんのリターンが、本当にあるのかどうか。

ということを考えてみようと。

僕の場合で行くと、まあ大きく考えて約300万円の借金を、社会に出る際に背負っていることになります。

そう、奨学金というのはもちろん借金なわけです。当たり前ですが。

何百万円も借金を背負って社会に出て、実際に返済ができない人がいるという社会問題も、よく耳にするわけで。

その奨学金の仕組みに関する議論は今回は置いておき(また別の記事で書きたい)、学校という場に数百万円もの、場合によっては数千万円もの投資をする価値が本当にあるのか、ということです。

ここでは僕は「投資する価値がない」と言っているわけではないです。あくまでも、どうなのか?という議論です。

教育投資が重要だという考え方は、正しいと思います。

勉強にお金を払う、教育機会にお金を投資する。というのは、大半の場合それがきちんとリターンになって帰ってくるはずです。

以前は、というのも僕らの親の世代、あるいはその親の世代くらいまでは、そもそも大学に通う人が今と比較してかなり少なかったこともあり、借金をしてまでも大学に通うこと、学校に通うことはわりと理にかなった選択でした。

というのも、わが国ではまあある程度「年功序列」と「生涯雇用」が当たり前だった時代には、そもそもその土俵に立つ切符が「大卒」という資格だったため、大学を卒業してそのレールに乗ることが、いわゆる「賢い選択」だったはずです。

だからこそ親は自分の子どもに対して「ちゃんと勉強をして、いい大学に行きなさい」という教育をしていた。

つまりは「教育投資」がそもそも「学校への投資」だった、ということです。

それは極めて合理的な判断だったと、現代に生きる僕でも思います。僕でも、そうしたはず。それが子ども本人の意思に沿ったものか、という議論は置いておき。

ところが、そもそも大卒が当たり前になっていき(今では国民の過半数が大卒)、年功序列や生涯雇用が崩れた今、特に「大卒」という資格を手に入れるためだけに何百万円も支払うことが、本当に妥当なのでしょうか。

これは何も大学に限ったことではなくて、たとえば専門学校もそうだし、あるいは社会人になって通うビジネススクールとかもそう。

MBAなんていうのも、希少価値があった時代には有効だったはずですが、そもそもそれ自体がありふれた今、本当に1000万円以上も投資して手に入れるものなのか、とうことです。

***

もう一度、僕の考えを整理します。

僕が言っているのは、「教育投資がダメだ」というわけではありません。教育投資は極めて有効です。(少なくとも僕はそう思っています)

ただ、「学校」あるいは「卒業資格」を手に入れるためだけに、多額のお金を(負債を背負ってまで)払う価値があるのかは、疑問ではないでしょうか?ということです。

つまりは、多くの場合「学校への投資」を「教育投資」と混同しているというのが本質なのではないかと。

例えば、単に「大学卒」という資格を手に入れるためだけに何百万、場合によっては1千万以上も借金を背負うことが、本当に妥当なものなのか。

という議論については、もう少しされても良いのではないかということです。

翻って、じゃあお前は300万円の借金を背負って大学に通ったのだろう、と言われれば「はい、その通りです」としか言えませんが。

確かに300万円というお金は決して安くはない。僕自身で言うならば、4年間という時間を買って、学ぶことができたものに対する教育投資としての300万円だと考えれば、まあそれなりに意味のあるものだった気もしますけれど。

逆にこの300万円を自分で背負わずに、4年前に社会に出ていたとしたら、少なくとも今よりは薄い人間になっていたと思うし、5年後、10年後より先を考えた時は、今の選択が自分にとってベターなものだったと思います。

(それが実際に妥当だったかどうか、むしろ良いものだったのか、というようなことは、卒業後しばらく経ってみないとわからない。というのが本音です。)

まあ、もし今と同じような思考や感覚を持って大学入学を選べる立場に立った場合、借金をしてまでも通っていたか?同じ選択をしたか?と聞かれれば明らかに答えは「ノー!」ですが。。

時代は、確実に変わっています。

今一度、自分にとっての投資が何か、ということを考えてみることも大事なんだなと思いました。。

ありがとう。