ありのままの自分で居れる場所

思うこと

特に誰かのことを指しているわけではない(他意はない)ので気楽に読んでほしい。

いつの時代からから、「ありのままの自分で居れる場所がいい」という言葉がわりと都合の良い解釈で使われるようになった感じる。

「いつの時代からか」というような大そうな言葉を口にしてみたけれど、20代そこそこの僕のような人間が時代を語るのはどうかと思う。まあそれはいい。

ありのままの自分で居れる場所というのはもちろん大事。アナと雪の女王ではない。
飾らない、気楽な自分で居れる交友関係や家族やパートナーというのは、すごく大事な存在だとは思う。

でも、それは、たぶん、きっと、何もしなくていい(変化したくない)自分の言い訳のように使う言葉としては、少し違うのではないだろうか、と思わなくもない。そういう趣旨のことを書きたいのだけれど、うまく書けているのだろうか・・

 

例えば、就活生がいる。もちろん大学生だ。これから社会に出る身として、今までは「学生」として社会や親に守られてきた。

彼ら・彼女らが就職活動を通して社会と向き合ったときに、「いや、でも自分はありのままで居れる会社がいいんです」ということに違和感はないだろうか?

大人として「何を言っているのだ?」と思う。別に咎めたり非難するつもりはないけれど、感覚的には「そうかー、んー」と思ってしまうのは一般的な大人の感覚だと思う。

就活の例は極論だと思うけれど、要は「変わりたくないんです、努力めんどくさい、楽したい」と言っている人たちというのは、世の中にたくさん存在する。別に就活生に限った話ではない。

賞賛されたり、存在が肯定される場所だけを好んだことで、「あの場所は、ありのままの自分で居れないから」と言って価値観の合わない環境を切り捨て続ける。
それもまた一つの選択肢だとは思うけれど、そんなことを繰り返していると、気づいたときにはすでに立派な裸の王様だ。

僕ももちろん「だらだら生きたい」というのが根っこにあるので、人のことはもちろんいえない。いうつもりもない。

ただ、そんなことを考えさせられる、世の中を見つめての深夜の独り言。

無条件の賞賛は蜜の味。