音楽と言葉。〜内側にあるものに共鳴するからこそ、心が震えるんです〜
音楽を聴いたときに入ってくる、その歌詞の中にある言葉のひとつひとつ。その端々とか、音の重なりとか、そういったものが今までの自分の人生とか経験と重なり合って、心が震えるんだと思うんです。
強い言葉、強いメロディー、強い音楽であればいいというわけではないんですね。
僕はずっとサッカーをやっていたからわかりますが、シュートを打つ際に、強く蹴ればいいというものではない。
シュートを打つときは、必ずしも強くなくていい。柔らかいキックでもいいから、ちゃんとした角度で、ミートする。そうすることで、ボールはきちんとネットを揺らすんです。
きっと音楽も一緒で、強い音楽、例えば「どうだ、いいだろう!」と強く主張し続ける音楽よりはーもちろんそういう音楽をいいと思える時もあるのだけれどー、日常の世界を切り取った些細なことでもいいから、そういった小さいことを丁寧な言葉で表したものが、心を揺らすんだと僕は思うんですね。
そういった意味で、子どもたちというのは、音楽を音楽としてそのままで感じていて。
いいものはいい。歌詞の言葉やメロディーを、ただそのまま体で受け取っている。
僕だって、幼い頃はそうだった。音楽だけじゃあない。見える景色、いいと思うもの、感じること。社会をありのままで見つめていたし、ひとつひとつを丁寧に、自分の体で、そして心で受け取っていった。
だからこそ、素敵な景色にたくさん出会えたし、同時に見たくないものをたくさん目にして、傷つくこともあった。眼鏡という名のフィルターを通すことをせず、そのままでまっすぐに心に入ってくるものは、痛い。
あの頃はあの頃で、必死に生きていたことは間違いなくて。苦しくて、悔しくて、寂しくて。でも、今は生きていてよかったと思える。
あの頃の想いのその先を知ることができたから。
大人になった今はもちろん、世界の感じ方や見え方が全て違っているのだけれど、それは、あの頃の経験があったから。
僕はこれから、自分の生き方から発せられる言葉を伝えたい。音楽が聴く人の人生に共鳴して心が震えるように、僕の言葉が誰かの人生に共鳴して心に響く。そんな言葉を残していきたくて。
ふと、ノートをめくってみると、そんな言葉が書き綴られていました。
どんな想いで、書いたんだっけ。
あの頃から、心を震わす何かに出会いたくて、そしてそれは今でも変わっていない想いです。だからこそ僕は、読書を通してたくさんの言葉に触れようとするし、たくさんの音楽に触れたいと思うんです。
ああ、言葉っていいなぁ。
いつも、ブログを読んで下さって、ありがとう。