「深夜食堂」から見る現代社会の鬱

思うこと, 趣味

年末年始はひたすら家にいるのですが、Netflixで「深夜食堂」なる映画を見つけてひたすら流しています。深夜食堂とは・・

繁華街の路地裏にひっそりと佇む “めしや”。
営業時間は深夜0時から朝の7時ごろまで。
人は「深夜食堂」って言ってるよ。

性別も、年齢も、境遇も異なったさまざまな客が店を訪れては、カウンターで生まれる小さなドラマ――。

忘れられない味、そろってます。

原作は、安倍夜郎の「深夜食堂」(小学館 ビッグコミックオリジナル)。
国民的「食」コミックともいわれる本作は、2009年に初ドラマ化されて以降、シリーズものに。映画、海外でのリメイク版も制作され、今やその人気は全世界へと広がっています。どの作品から見ても、あなたの小腹と心を満たしてくれる… シリーズ全作品、心ゆくまでご堪能ください。

とあります。

新宿はゴールデン街に佇む、深夜0時から朝7時頃までやっている食堂。

メニューは「豚汁定食」のみ。あとはお客さんが好き勝手に注文するというスタイル。マスターのそのこだわりがまた良い。

新宿の街に訪れるさまざまな人々の人間模様が描かれていて、それでいてどこか忘れられない家庭の味のようなご飯を提供する場所。

それぞれのご飯に、それぞれの人生の物語が詰まっている。想い出の味をもとに描かれる人間模様とその生き様の物語が相まって、昔ながらの豚汁定食のように良い味を出している。

マスターのような生き方もいいなと思わされる。
1人1人とキャッチボールをしながら、ご飯を提供して話を聞いて、そこに世界をみる。

村上春樹さんが作家としてデビューする前に、何年もジャズバーを営んでいた様子とどこか被る。小林薫さん演じるマスターはきっと、日中は物語を書き綴っているに違いない。

それにしても小林薫さんは70歳(!)なんですね。渋くてかっこいい。

戦後の定食屋さんで

僕の祖母は数年前に、80何歳で亡くなりました。

僕は幼い頃は、週末には必ず母方の祖母の家に遊びに行く(泊まりに行く)おばあちゃん子だったのですが、祖母は必ず食べきれないほどの手料理を作ってくれました。

僕の祖母は戦後、今の家がある場所で定食屋を営んで、僕の母を含む4人の兄弟を育てました。

戦後に土地と3階建ての一軒家を購入して、はたらきに働いた。
定食屋さんは今でもその一軒家の1階に形を残していて、僕が幼い頃には祖母は近くの定食屋さんにもはたらきに行っていました。

祖父は軍関係の仕事をしていてほとんど家にいない無口な人でしたが、祖母は定食屋さんの他に、新聞配達と、もう1つの仕事を掛け持ちながら、戦後の復興する日本を横目にがむしゃらに働いたそうです。

深夜食堂を見ていると、どこかそんな懐かしさすら感じられ、思い出させてくれます。

昭和の時代には、食べることが働くことの目的でした。

家族全員がお腹いっぱい食べていけること、そして社会に出ていくことが目標で、昨日より今日、今日より明日が良くなると信じてがむしゃらに頑張っていた時代。

昭和の時代の懐かしさと良さがあるのであれば、日本の社会全体が右肩上がりで、頑張れば明日良くなるという時代だったからなのだと思うのです。

令和になった今の時代、日本は(あるいは世界の先進国は)物が溢れていて、欲しいものを手に入れても幸せではなくなりました。

お金という経済社会ではなく、SNSや社会的な承認の方が価値がある時代になっている今の時代は、深夜食堂のマスターから見るとどのように映るのでしょうか。

物質的な豊かさを求める経済社会から、今の時代は「より自分らしさ」を求める情報過多社会になっています。物が溢れ情報が溢れているからこそ、そこには価値がなく、「自分らしさの体現」をしているインフルエンサーに価値が寄っている時代なのです。

映画を見る、物語を自分の中にくぐらせるという行為は、人間らしさを思い出すとても大事な時間です。

現代はあらゆるものを「消費する」社会に生きていますから、膨大なストレスにさらされる。

そうではなくて、ものを「生産する」側に回ることです。

お金を払って情報や体験を消費するのではなく、時々はそれを作り出す側、生み出す側に回ってみる。

こうやってブログを書くのもそう。もう1つ良いのは、深夜食堂ごっこなんか、どうだろう。まじめに書いています。

1週間に1度でも良い。気が向いたときに、卵焼きをタコさんウインナーを作ってみよう。料理をしながら、現代の社会を見つめるのだ。情報をシャットダウンしなきゃいけないよ。

外食はコスパがいい。都心で生きる僕も痛感している。ただ、たまには自分で食を作ってみようよ。現代社会の鬱から解放されるはず。

2022年もたくさん生産していくね。今年もこのブログをよろしく!