書くという行為はモラトリアムの瞬間を生み出す

マイビジネス, 社会人5年目(東京), 書くということ

あっという間に2021年も終わりを迎えます。皆さんにとって今年は、どんな1年だったでしょうか。

1年というのは単なる時間の区切りでしかないけれど、やっぱり僕にとってこの1年はとてもとても大きな1年だった。コロナがどうこうとか、そういうものではありません。

まず何よりも、昨年(2020年)に大阪から東京に越してきて、そのタイミングで個人の会社を設立し、信頼できる仲間と少しずつ、仕事を形にすることを思い描いて、東京の街に憧れ恋焦がれ想いを馳せて、人生の次のステージを思い描いて始まった2021年。

”少しずつ”と思っていたにも関わらず、たった1年弱の間に思いのほか、仕事が増え、仲間が増え、経営者として大きな成長をさせてもらった。見える景色が一変し、視野も視座も大きく変わり、自分主語じゃなくなった。

僕の会社はコンサルティングを提供する会社です。
とはいえ一般的な「〇〇コンサルティング」とか「中小企業向けの」とかではなく、本当に何でもあり。何もなかったからこそ、何でもありです。

2021年だけで7社のクライアントとお付き合いさせていただき(大した営業活動もしていないのに・・感謝です)、月商は今の2021年12月時点で3桁万円を超えています。かつ継続的に毎月、売上利益も増えており、年商ベースではあっという間に数千万真ん中くらいは行くはず。

経営者のパートナーとしてやりたいと思い描いていた中で、思いのほかオーナー企業以外とのお付き合いもあり、プロジェクトベースで高単価のフィーをもらいながら凝縮された時間の中で成果を出す、というお仕事もあります。

事業計画全般をサポートすることから、営業組織の立ち上げ、営業支援、新規事業、マーケティング系の取り組みから人事制度のリニューアルまで。

今僕の会社で関わってくれているメンバーは8名いますが、それぞれが得意領域を持っている中で大きな価値発揮をしてくれており、関わっていく人たちは今後も増えていきます。

やりたいことは、まず何よりも関わってくれるパートナーの人たちの、それぞれがやりたいことをやれるように、環境やリソースや経済面を担保できるような、そんな商圏を作りたい。

そしてクライアントの方々の利益を伸ばすことで、彼らがやりたいことの実現のサポートをする。一緒に思い描いて、一緒に実現する。そのために必要なリソースは、何でもやる。そんな中期的なお付き合いができたら何よりも嬉しいのです。

僕自身もまだ会社員という立場ですので、このブログでは匿名という形になっていますが、いつか昔からこのブログを読んでくださっている方々へは、ちゃんとシェアできるようにしてありたい。

時間的な制約も、会社員的立場の制約もある中での今ですので、ご容赦いただければと思います!

怒涛の日々だからこそちゃんと立ち止まり書き留める場を作る

僕が東京に越してきて1年3ヶ月。

本当に大きな変化がありました。思考も、スタンスも、生き方も変わっている中で、日々、立ち止まって思考する場であり生き様を書き溜める場が、このブログなのだと思っています。

別に仕事のことだけではなくて、例えば街に出て感じたこととか、2日に1本くらい映画を見るのですが、観た映画や出会った本、感じたこと、美味しかったご飯のこと、ネットを通して触れたコンテンツと考えたこと、出会った人たちのこと、etc..

このブログは2〜3日に1回の更新をする2022年にします。目標ではなくて宣言です。

気づけば僕もこの12月で29歳になりました。早いものです。あれから10年以上の月日が流れて、今ここに立っています。

僕は10代の頃、高校時代からゆってぃの匿名ブログを書き始めました。しんどかった10代、コンプレックスと燻りの塊で、何が何でも10年後、人生の次のステージの景色を見るんだと決意し、焦がれ続けた。

僕は今、その場所に立っています。

10代の頃から焦がれ想い続けた景色を見ることができる場所に立っている。

たまらない。たまらなく心震えるのです。

日々の都会の喧騒の中で、揉まれ飲み込まれ流され続けるには、あまりにも勿体無い。日々の感受をきちんと言葉に落として、向き合える時間を作るのです。

人生のモラトリアムの”瞬間”を大切に

数ヶ月前に、このブログを通して僕にメールをくださった大学生の方がいました。
人生の色々が詰まっていて、何をどう返して良いかわからずに、返せておらずにごめんなさい。

僕が思うには、人生のモラトリアムを設けてみるというのは、いかがでしょうか。

個人が特定されない形でサマると、その方は大学環境という社会的な立場と、親との関係性の狭間で、自分自身の人生をどうするかと悩んでいらした。

解決しなければならないという切羽詰まった感は文面から感じられましたが、経済的にも社会的にもまだ時間があるのであれば、半年でも1年でも、モラトリアムを設けるというのはいかがでしょうか。可能であれば休学して1年間、ふらりとした時間をとるのも良いと思う。

昔書いた記事の中に「ギャップイヤーを持とうぜ、若者よ」と書きました。

お金で時間を買う手段は、アリだと思う。

大学生というのは世間的には「人生の夏休み」だと言われるし、実際のその側面もあると思う。何をしてもある程度許されるし、社会的には「学生」という立場で、時間の猶予があるのですごく恵まれていると思われるし、実際にそうだと思う。

でも一方で、大学生の立場からすると、それまでの18年とか20年の積み重ねのプレッシャーを未来に向けて受けているし、いうほど経済的な自由があるわけではない。4年間なんてあっという間だし、頭を抱えている間に1年というのは過ぎ去っていく。

親の庇護の元、完全に自由というわけではない。むしろ閉塞感を味わっている人も多いだろう。実際僕もそうでした。

大学生の間には社会的に稼げるようになるのはハードルが高いし、やりたいことはどこを探しても見つからない。

であれば、自分自身の中に1つでも多くの引き出しを作るという時間として過ごしてみる。別にリターンを求めなくてもいいから、映画を見て、小説を読んで、物語を自分の中にくぐらせる。

東京に住んでいらっしゃる方であれば、すべての町に足を運んでみるのも良いと思う。特に文化的な刺激を受ける街は良い。僕もこの1年で相当にいろんな街に足を運んでみた。できれば大学時代に、東京の街並みにもっとたくさん触れたかったと思うくらい良い時間。

メールをくださった彼女に言葉を送るのであれば、「こうした方が良い」というアドバイスは周囲の人たちからたくさんもらったと思うので、そういうべき論ではなく、自分の中に思考を熟成させる時間を持ってみるのはどうか、ということです。

知性がある方であれば、間違いなく時間を通して自分の中で方針が決まるのだと思うのです。

僕がゆってぃとしてブログを書いて10数年。このブログを読んでくださった方々にとっての2021年は、どんな年だったのか。この数年間はどんな人生だったのか。

淡い期待ですが、もしよかったらこのブログ宛にメールをくださったら、とてもとても嬉しい。

僕が悶々と書き綴り続けたものが、社会とつながる瞬間だからです。

2021年も、読んでくださって本当にありがとう。これからもよろしくね。