自分というフィルターを通して書くということ。

2019年1月4日日々徒然, 書くということ

こうしてブログを綴るということもそうですが、何かを書くときはあくまでも、「僕」というフィルターを通して見える景色について、書きたいと思う。

あくまでもフラットに、かつ僕の言葉で文章を書くこと。矛盾しているわけではないです、念のため。

別に一個人の、一ブログに過ぎないのでもちろん何をどう書いても個人の自由なのですが、同時にこうして多少なりとも公(と呼べるかどうかはわかりませんが)に公開する形で文章を書くわけなので、どこかでバランスは気をつけて言葉を書きたい。

例えば、世界の物事をフラットに書くだけ、つまりは何らかの事実を並べるだけならば、僕がこのブログでそれをする意味はないんです。読む人だって、ニュースサイトを見ればよいわけで。

大事なことは、自分というフィルターを通して出て来た言葉や文章を書き綴っていくということ。

書くことの根っこにあるのはもちろん、自分が楽しいから。というよりはむしろ、書かずにはいられないから、というもの。

それを「自意識」と呼んでいいのかはわかりませんが、それに近い。

という前提のもとで。

読んでくれている人が、ちょっとでも「ああ、いいな」と思ったり、共感したり、ほっこりしたり。

僕はそういう文章を書くことができたら嬉しい。

同時に、何らかの考えや、価値観を発信する場でもあるといいなと思っていて。

それが、読んでくれている人の中に、多少なりとも反応するものがあったりして。

一個人として、何でもいいから発信を積み重ねていくことは、わりと大事なことだと思っています。

僕が思っているのは、発信「し続けなければならない」という類のものではなくて、もう少し軽いニュアンスのものですが。

<追伸>

やっぱり、なんだかんだ20代のいまはインプットの時期だと思う。

何かを形にしていくのは、後からでもできるし、骨太に形作っていくにはやはりそれだけの足腰を培っていく必要があるのだと。

このブログはひとつアウトプットの一種ではあるけれど、あくまで要素の一つとしてだと思っていて。

10年後15年後のその先に何が生まれるかはわからないけれど。

だからこそ、楽しみ。