年賀状は、社交辞令のふりをしたラブレターだと思う。

2019年1月4日日々徒然, 書くということ

年内はもう大学には来ないと思っていましたが、今僕は大学の図書館の一角にいます。いつもの席に座って、音楽を聴きながらパソコンに向かっています。

昨日からまた一段と冷え込んでいるような気がして、外はもう本当に寒いです。

以前にも書いたような気がしますが、僕は12月が誕生日でした。ので、Facebookにいただいたメッセージ(タイムラインに表示される投稿)をいただいていて、そのメッセージに対して返信をしていなかったので、いま1時間くらいそのメッセージの返信をしていました。

脱SNSじゃあないけれど、1日の時間の中であまりSNS(Facebook、Twitter、Instagramとか)を開く時間をとっていなかったので、なかなかタイムラインを見る機会もなかったのですが、改めてこうして遠い街からメッセージが届くというのは、素敵なことですね。

ITは人の温かさを届ける。というような気がします。

そこから久しぶりの人からメッセンジャーでメッセが届いたりして、やりとりをしつつ。ゆっくりとした時間を過ごしています。本当に人のいない図書館というのは、よい場所です。

こうしてブログを書くこともそうですが、僕の書いた文章を、遠い街の誰かが読んでくれるということは、すごくすごく奇跡のようなことで。

1人でもそうやって読んでくれる人がいるという喜びは、文章を書く上では何事にも代えがたい喜びなんですね。

いつも、本当にありがとうございます。

ITは人の温かさを届ける、と書きましたが、この人の温かさというのがやっぱり僕にとってはすごく大事なもので。

なんてことを思いながら、最近は年賀状を書いています。

年賀状はあくまでも形式的なもので、社交辞令のようなものだという人もいますが(まあある程度はそうでしょう)、それでもやっぱり直筆の手紙というのは、人の温もりを届けるものだと思うんです。

たとえ一行であっても、手書きでコメントが書かれた手紙が届くというのは、やっぱり良い。

年賀状はたぶん、社交辞令の形をしたラブレターのようなものだと思うんです。

別に告白をするだけがラブレターじゃあなくて、本当にお世話になったなあとか、久しぶりだな元気だなとか、最近どうですか。寒いですね。僕も元気しています。というような、そういった優しさとか人の温もりを届けるのがラブレターというもののような気がして。そしてそういうという文化が残っているのは、僕はすごく素敵なことだと思う。

そんなことを思いながら、つらつらと。

大事な人に届け、僕の言葉。

いつも、本当にありがとう。