僕の正義。あなたの正義。
人によって、正義は違う。
それは、ひたすらに正しい。
僕の正義があって、そして、あなたの正義がある。
セイギセイギセイギセイギセイギセイ…
何かの犠牲の上に、誰かの正義が成り立っているのなら、その正義は本当に正しいのだろうか。と、時々思わされます。
人の正義を、否定することはできないわけで。
本当に正しいことなんて、誰にもわからない。僕も、わからない。
それでも僕は、分かろうとする努力は続けたいし、結局、自分の中の正義に従っていくしか、道はないのだと気付かされます。
翻って、僕はどうだろう。
何を犠牲にして、どんな正義に従って生きているのか。
時々、怖くなります。
自分が気付かないところで、誰かの人生を殺してしまっているのではないかと。
誰かの人生を背負うことなんて、できない。
手を差し伸べることはできるかもしれないけれど、それは僕らが思っているより、簡単なことではない。
それは、すごく痛みの伴うものであるということ。
痛みを、背負うんだということ。
僕の正義と、あなたの正義。
より大きな大義のためには、多少の犠牲もやむをえない。
そうやって、歴史は戦争を語っています。
ほんとうに、そうなんだろうか。
ほんとうに、それが正しかったのだろうか。
僕には、わからない。
あの時、僕らの先を生き、散っていった人たちはみな、結局最後は自由が勝つんだと語っていました。
それが、今の時代に生きる僕らに託した彼らの想い。
僕らは、生きているんじゃあない。生かされているのだと。
そうなった時に、僕は、あなたは、僕らは、何を想ってこの人生を生きるんだろう?
何を正義として今を生き、未来を語るのか。
僕は。
その葛藤が必然ならば、僕は優しくある方でありたい。
そのためには、強く生きなければならないのかもしれない。
<追伸>
このブログを書いたのはいつだろう。今、ふと自分で書いたこの文章を読み返してみて、すごく心が痛い。
この時の僕は「自分が気付かないところで、誰かの人生を殺してしまっているのではないか」と書いている。それがすごく怖いんだと。本当にそう思う。
自分のふとしたところで、誰かを傷つけてしまっている。それほど、怖いものはない。それが自分の大切な人であるならば、なおさら。そう考えるとおかしくなってしまいそう。
大事に想っているからこそ、もう一歩近づくのが、すごく怖い。もう大切なものを失くすのは嫌なんだ。
すごく身勝手なことを言っているのも、自分ではよくわかっているのだけれど、どうしたら良いのかわからなくて、久しぶりにパニックになりそう。ごめんなさい。何を書いているんだろう。
傷ついた人の痛みが伝わってきて、すごく、すごく痛い。たまらない気持ちになるんです。
大事な人たちを守れるような、優しくて強い人間になりたい。