情報習慣で大事なのは「自分の頭で考える」ということ

日々徒然

友人が「情報習慣が身についてきた」と呟いていて嬉しくなったという話を書こう。

僕は周りにも顧問先の企業に対してもしつこいくらいに「情報習慣が大切です」ということを繰り返し伝えている。
情報習慣とは単に新聞やネットニュースで情報を仕入れなさいということではないです、念のため。

情報を仕入れ、かつ、それらの情報を自分の頭で考える習慣を身につけようよ、というメッセージが「情報習慣」という言葉に集約されている。

ニュースや情報自体は、今の時代スマホ1台で容易に入手できる。本当に便利な時代になったものだ。

でも、仕入れた情報を「どのように考えるのか」ということについては、千差万別と言っても良い。100人いれば100通りの解釈の仕方があるし、少なく見積もっても90人以上は「誰かが言っていたこと」を「自分の思考のように」解釈して取り入れてしまう。怖い話だけれど実際そうでしょ?周りを見ても。

 

少し前に誰かと話した内容なのだけれど、最近は有名人がSNSで社会問題に対して意見をしたり、場合によっては多少過激な主張をしたりする。
僕が話したその人は、有名人の主張を見て「私はこう思う、だってあの人も言っていたのだから」と言った。

その内容は専門的な話になるので、世の中の皆がいくらSNSで主張しようと(それ自体は全く構わないが)専門的見解は一切なく、素人が「私はこう思う」と言ったところで「そうなんですね」、以上の話である。

でも、僕が話その人は、専門的にはズブの素人である有名人(芸能人)の発言を引用して「だってあの人もこう言っていたのだから」と言ったのだ。だから何だと言った僕に対して「あの人もこう言っていたのだから、正しい」と。笑

すごいと思わないだろうか?

文章に書いてみるととても当たり前の違和感なのだけれど、案外日常の生活の中では平気で「著名な人が言っていたから」という理由で、たとえそれが専門的見解とはかけ離れていたとしても正しそうに聞こえてしまうため、その主張を「私もそう思う」という自分の意見かのように解釈してしまう過ちを人はよく起こす。

僕はその話をして「ああ、これが思考停止人間のいい例だな」と思った。
もちろんその人に対しては「そうだね」と返しておいたことは正直に述べなければならない・・

1日の中のモラトリアムを持ってみる

情報習慣で大事なことだと僕が思っているのは、意外だけれども「情報をシャットダウンする時間」を作ること。

僕もそうだけれど現代に生きる人は好きがあればすぐさまスマホを手に取ってしまいがち。

僕はTwitterを開いたりNewsPicksを(無意識的に)開いたりする癖があるので、スマホではなく本を読む時間や、ノート(手帳でもいい)を開いて自分と向き合う時間を作ってみるのも良いと思う。意外と散歩や家事もいいよ。

人生の中でモラトリアム期間と言って、なにもしない(所属しない)空白の時期を持つことで人生を見つめ直すという考え方があるけれど、僕はそれが日々の生活の中にモラトリアムを設けても良いと思っている。デジタル情報のプチ断食のようなイメージだ。

というのも、情報や思考は一度自分の中に取り込んだとしても、うまく消化し切れていないことも多くあるのだ。
情報をただ右から左に流して情報のシャワーを浴びるのも1つだと思うけれど、情報習慣がある程度身についたら今度は「きちんと消化する=思考する」時間を設けてみると良い。

そのために有効なのは、やっぱりアウトプットノバを意図的に設けることではないだろうか。

例えばこうしてブログを書くでもいいと思う。僕は割とこっち派。
何か気になる特定のテーマについて書いてみることで思考も整理される。

1日や2日では身につかないが、これが半年、1年経ったらどうだろうか?
毎日、情報を仕入れて思考してアウトプットするという習慣を1年間継続したら、見える景色は全く違ってくるのは間違いない。

アウトプットすることで「あれ?意外と分かっていないな」とか「あの情報ってこういう意味だったんだ」と思わされることも多々あるし、僕も毎日その気づきのオンパレードだ。それが楽しくてブログを書いているというのもホンネ。

別にブログでなくてTwitterでもいいし、手帳に書くでもいいけれど。

オススメです。