優秀な中間管理職とは

働き方・キャリア, 出世

最初に書くとこのタイトルは結構皮肉であるのだけれど、最近改めて感じたことなので書いてみたい。

僕が一緒にしたとある優秀なセールスパーソンの人がいるのだけれど、彼は20代後半で売りに売りまくって出世をした。
出世したとは、ようは管理職になったのだけれど、感覚的なセールスでハイパフォーマンスを出すセールスパーソンというのは、多くの場合で管理職になると無能になる。

スポーツ界でも優秀な選手が名誉で監督になると、すごく微妙だったという例は枚挙に遑がない。もちろん逆も然りで、選手時代よりも監督としてさらに才能を発揮する人ももちろんいるのだが。

ビジネスの世界では、営業畑で結果を出した人が管理職になってしまう、逆にいうと売れなければ出世ができないという日本の会社のよくない仕組みが前面に押しでた形になってしまう。

売れなければ管理職になれないというのは、要は「ホームランを打てなければ、監督になれない」と言っているようなものだけれど、ホームランを打つことと監督としての才があることは全く別の話のように、ビジネスでも自分自身がセールスパーソンとして優秀であることと、マネジメント能力があることは全く別の話なのだ。

「いや、やっぱり自分自身で売れた経験がないと、良いマネージャーにはなれない」とかいう人もいるが、それはマネジメント能力が低いからそう思うのであって、マネジメント能力が高ければ誰もその人のプレイヤー時代の能力なんて気にしないですよ、という話。

中間管理職は辛いぜ

話を戻して、とある優秀なセールスパーソンが出世をして、管理職になった。

彼は他の人とは違い、マネージャーとしても一定優秀だったと思う。
完璧を求めてしまうのはすまなく思えるので、ある方向から見た時に彼は一定、しっかりとしたマネージャーになれそうだし、その経験を積み始めたように少なくとも僕には思えた。

そしてしばらくの時間が経って(確か1年〜1年半くらい)彼の状況を改めてみてみると、それはもう立派な中間管理職となっていて、組織って怖いなあと思った。

彼はキャリアの中でマネージャーにシフトしたことで、元々兼ね備えていたセールスパーソンとしての能力の開発に終わりを迎え、マネジメントラインに行ったわけだ。

でも、マネージャーとしての経験云々の前に、さらにその上や、横からの無茶振りのオンパレードによって、ひたすら「調整役」になってしまっていたのだから、外から見ている側の僕としては、なんとも言えない気持ちになった。

組織は彼を「何かが起こってもどうにか調整してくれる存在」として重宝しているわけで、おそらくは無意識的にそう扱っているのだと思う。
でも、彼は30代のキャリアを「調整役」として過ごすことになる可能性が高く、超優秀な調整役(=中間管理職)はすなわち極めて価値が低くなる。

キャリアが飽和に近づいているように思えて、その上にいる人たちの微妙さを見ている中で「調整が価値になる」というのは、サラリーマン社会の流儀だなと思った。

 

タイトルに書いた「優秀な中間管理職とは」という問いに対する今の僕の答えは「物事を穏便にする調整力が長けている人」ということになる。

組織としては、そういうクッションのような存在は重宝するが、その役を担えば担うほど、社会的な価値発揮は難しくなっていく。

もちろん、その道でいくという覚悟をして、サラリーマンのマネジメントラインで戦っていくというのも1つ、選択肢としてはありだと思う。その会社の中での存在感は当分の間は続くだろうから。ただし、40代以降はちょっと大変ですね、と思うのだけれど、勝手に贅沢なことを言っているのかもしれません。

ということで、日本社会の構造はこうして生産性を下げていくのだということを目の当たりにした僕の感想でした。