日本社会の「上司は偉い」は勘違い

人間関係, マネジメント・育成

サラリーマンを経験していて良かったなあとつくづく思うことの1つに、「上司と部下」という関係性の学びがある。

会社組織というのは不思議なもので、昨日まで全く関係なかった人も、事例1つで今日から「上司と部下」という関係性になるのだ。

日本社会の不思議な感覚の1つに、「年上崇拝」というものがある。
要は「自分より先に生まれた人(=人生の先輩)」を年上として崇拝するという感覚だ。

中国の儒教の教えに基づくものだと思うのだけど、僕自身、人生の先輩に対して敬意を表することはある一定あるものの、「年上だから偉い」とか「先輩だから無条件に尊敬する」という感覚は、残念ながら全くない。

「それはあなたが体育会系の経験がなかったからだ」と言われるかもしれないけれど、実は小中高とだいぶガッツリ体育会系を経験した。
サッカー部だったので、その経験は十分だろう。笑

実はその頃から「先輩だから偉い」という感覚を1ミリも持てずにいたのだけれど、そんな自分がおかしいのかな?と思ったこともあった。
スポーツというのは完全なる実力世界なので、たまたま1年早く生まれただけの人との間に完全なる主従関係が生まれるというのは、僕には全く理解できない世界だった。

年上だから偉い、上司は素晴らしい、の嘘

実はその考えが行きすぎて、まあ、当時は色々あった。笑
若さゆえのことだと笑って流して欲しい。

ただ、小中高とサッカー部の部長を務めてきた僕自身は、フィールドで実力のある人には年齢関係なく敬意を表していたので、なんだかんだと可愛がってもらったりもしたけれど、補欠の先輩には疎まれていたんだろうな・・

これは僕が20代だから言えることなのかもしれない。
ようは社会の大半は自分より年上で、社会的な地位や会社での役職や経験年数が上の人たちが多いから言えることなのかもしれないけれど、純粋に「年上だから凄い、偉い」と思い込む風土、下の人たちに思い込ませる社会通念というのは、僕はない方がいいと思っている。

冒頭に書いた「上司・部下」の関係というのは、会社における役職のことであって、人間性の上下や偉い・偉くないを表しているわけでは全くないのだ。

でもなぜか日本企業の大半は、昔の考えを踏襲しているせいか、その考えが染み付いている。
実際問題として上司や先輩が、部下や年下よりも人間的に優れているかどうかというのは全く関係ないのだから。

社会を見渡してみると、一目瞭然でしょ?

若いうちに人生の師に出会おう

会社員を経験するなら、若いうちに「上司と部下」の関係性を味わっていた方がいい。できるならどちらも経験してみると、色々見えることがあると思う。

あくまでも役職というのは「演じるもの」であることを忘れずに、ある一定期間は演じる楽しみを味わってみてもいいと思う。

そしてもう1つ、できれば20代のうちに経験しておいて欲しいのが、人生の師と呼べるような人に出会うことだと僕は思う。
ここでいう人生の師とは、自分自身がそう思える人であれば、誰でも良い。

そして「師匠=上司」とは限らないし、なんなら本の著書でもSNSを通してみる人でも良いと思う。そして何よりも師匠は年上とは限らない。年下の師を持つことができるようになれば、人生の可能性は2倍に広がる。

身近な人であればいいけれど、いないからと言って悲観する必要はない。本当に僕らは便利な世の中に生きている。

そういう意味で僕は、今の会社に入社をする前の大学時代に、人生の師と呼べる人と出会うことができた。その人は本の著者でもちろん実際に会ったことはなかったけれど、僕の頭の中には完全にその師匠の思考がインストールされていたわけだから、僕自身の軸がぶれることは一切なく、社会人になった。

そういうわけで、会社の中で出会う人に「人生の師を見出そう」なんていう期待値は一切なく、なんなら一生続くご縁がある人に1人でも出会えれば御の字だというくらいに思っていたので、結果、大阪のこの場所でそういう出会いができたことは何よりも財産だと思っている。

僕のブログに散々出てくる先輩のことなんだけれど、僕はその人に出会えたことだけで、大阪で社会人のスタートをきれて3年間過ごせたことの元が取れていると思っている。

まあ、その先輩のことは今までブログに散々書いてきたので割愛するけれど、逆の現象もまたこの会社で学ぶことができたので、今回はその話について書いてみたい。

子分のリクルーティングに悩む親分

とても面白い対比なので書いてみるのだけれど、僕らの会社にももちろん「上司」と呼ばれる人はいて、部下を抱えているわけだ。

その中でも、部下に「凄い」と言われることが何よりも生きがいの人たちがいるのだけれど、おそらく彼らは今後、元・部下だった人たちに「人生の師」と呼ばれることはないのだと思う。

上司と部下の関係性は職場のものだけれど、師匠と弟子、親分と子分というのは、全く違う話。

生き方がカッコ良くて、覚悟を持っていて、その生き方に惹かれて「あなたの弟子にしてください」とか「子分にして下さい」と人が集まってくる人こそ、僕は本物だと思うのだけれど、なぜかこのご時世、弟子や子分のリクルーティング(採用)に困って悩んでいる親分たちが大勢いる。

平社員(子分)1人に、管理職(親分)3人という組織もあるくらいだから、何かが掛け違っているんだろうな。

そんな人に魅力を感じろと言われても難しいし、尊敬しろと言われても無理な話ではないだろうか。

僕がこの3年間で学んだことは、人の魅力は「頑張って自分で出す」ものではなく、生き方の結果として「自然に出てしまう」ものであって、それが人を惹きつける。

そうじゃない人は、全て逆のことをしていて、それは年齢や役職とは一切関係ない、ということ。

世の中の縮図ですね。