生き様を正解にする生き方をしよう

2020年9月14日思うこと

僕のブログを読んでくれている人は20代〜30代くらいの人が多いのだけれど、できれば20代、遅くとも30代くらいまでには一通りの「人生の予習」を終えていた方が幸せに生きられると思うのです。

「読書は人生の予習」と以前のブログに書いたことがあるのですが、まさにその通り。
できれば10代、20代の間にたくさんの読書を通してたくさんの人生に触れて、人生の予習をすることができれば、30代以降の人生はグッと楽になると思うのです。

僕のブログはビジネスパーソン向けの内容が多かったりもするのですが、何もビジネス書だけではなく、小説や映画にたくさん触れることでも人生の幅は圧倒的に広がります。

自分以外の物語に触れることで、自分以外の人生を生きることができると、想像力が豊かになります。
想像力が豊かになるということは、より多くの人の気持ちがわかるということです。

自分以外の人生に触れることによって、翻って自分自身の人生もより充実させることができるというのは、人生の真だと思うのです。

定期テスト型の優等生が終わりの時代へ

インターネットとスマホの爆発的な普及によって、誰でも・どこでも、世界中の情報にアクセスできるようになりました。

それが意味しているのは、「知識」や「情報」そのものには価値がなくなるということです。

コロナによってオンライン教育の需要が何倍も増えたという記事がありましたが、学校教育そのものの意味が薄くなり、なおかつ、例えば新入社員が学ぶ「この業界ではこうする」というような「過去の経験そのもの」は急速に価値がなくなっていくのです。

一方で、情報と情報を掛け算した「知恵」というものの付加価値は鰻登りに高まっていく。
オンライン学習が盛んになると、知識や情報自体に価値はなくなり、それらを組み合わせていかに今までになかった視点や切り口で知恵を生み出すか、ということに重きが置かれるようになるのです。

今の日本が戦後、高度経済成長を遂げてここまで成長したのは、まさしく軍隊的な日本教育をしっかりと行い、日本企業もそれに倣えで「言われたことを、正しく、早く、きちんと行う」ことこそが重要であるという教育を行なってきたからです。

平成の途中から、時代は「定期テスト型」の優等生を求めなくなりました。

むしろ問題を生み出す側の人間の価値が急激に上がり、結果としてIT業界が伸びていったということだと思うのです。

実力は模擬試験で試される

学生時代を思い返して欲しいのですが、定期テストでは上位の成績の人でも、模擬試験には滅法弱いという人が必ずクラスにいました。

彼ら彼女らは、範囲が決まっている試験のように「この範囲を覚えてこれば良い」という暗記ゲームは得意だった。
けれども、模擬試験という「今まで学習したものの中から組み合わせて問題が出される」という形式のゲームには弱いタイプです。

一方で、逆のタイプの人もいました。
定期テストは中の上くらいの成績なのだけれども、模擬試験は決まって上位に食い込んでくるという、要領のいいタイプの人です。

社会に出て成功していく人というのは、実はこの「模擬試験に強いタイプ」の人であることは想像にたやすいと思います。

言われたことをきっちりこなせば良い、という仕事の仕方には当てはまりませんが、新しい何かを生み出していく側の人というのは、昔から模擬試験に強かった人が多いのです。

なぜならば、社会に出てからは「いついつまでに、この範囲で問題を出します」ということはあり得ない。
社会は今まで生きた人生の集大成が常に問われるフィールドです。

 

特にコンサルティング業を通して企業や経営者に価値を与えるという仕事は、ビジネス書に載っている知識を披露した時点で「はい、終了」です。

書籍なんていうのは高々1,500円〜2,000円ほどのもので、その中の知識を切り出して、日々凌ぎを削っている経営者に対して披露するというのは、対価としてウン十万ものお金をいただくプロとしてはあり得ない。

それこそ少し前までは、ビジネススクールで習うようなフレームワークや、MBAや中小企業診断士という資格が差別化になった時代がありました。
だから人々はお金を払ってその対価として資格を手に入れた。資格取得に払うお金は後から回収できる投資だったのです。

ただ、今はもはやそれらに価値はなく、何の差別化にもならないわけですから、いかに知識や情報そのものに価値がないかということを表しているかがわかります。

とはいえ、自ら勉強をして情報習慣を持っているビジネスパーソンは多くはありませんから、ある一定のレベルまでは知識の切り売りによって「っぽく話す」だけでマウンティングができるレベル感もあります。それは事実です。

ただ、一度その甘さを体験してしまうと、そこから次のステージは絶対にいけなくなってしまう。。。

浅い知識であったとしても、マウンティングの快感を知ってしまったら最後。
人はそこから抜け出せなくなってしまうのです。

 

どこかに載っている知識や情報ではなく、それらを組み合わせた知恵や、自分自身の思考と経験を掛け合わせ、それらが社会に受け入れられる喜びを知ってしまうと、そこから先はどんどんと正のスパイラルに突入します。

要は生き様全てが実力に反映されるのですから、どんな問題を出されても全て今までの生き様の中から自分なりの回答を出すことができるようになります。

”自分なりの”と書いたのは、このステージから先は「絶対に正しい模範回答」が存在する場所からは抜け出し、各々の回答を出していきながらその回答を正解にする努力が求められる場所にいくからです。

まさに人生の集大成が常に問われるフィールドに立つことで、今までの生き様が間違っていなかったと確信する瞬間が幾多も現れます。

 

ビジネスのフィールドで本当に面白いのは、綿密に準備された勉強会や講演会やセールストークではなく、質疑応答で裸の実力が露呈される瞬間です。

その醍醐味は麻薬のようですね。

自分自身の生き様を正解にしよう。